1993年に神奈川県鎌倉市で創業された“Maker’s Shirt鎌倉”
日本製の上質なシャツを4,900円(税抜)均一で販売する事で人気となり、売上枚数は年間77.5万枚にのぼる(13年5月期)。
現在国内に25店舗、昨年10月にはニューヨーク進出も果たし、“鎌倉シャツ”の愛称で親しまれている。
同社の創業者である本日のスゴい人は、繊維業界の名だたる企業で活躍を続けた後に起業。
当時既に53歳であった。
彼が一代で会社を確立させた秘訣とは?
さあ・・・メーカーズシャツ鎌倉株式会社 代表取締役会長 貞末良雄様の登場です!
「試練を楽しむ」
私は、戦後釜山から山口県に引き揚げ、貧しい状況で育ちました。
幼い頃から不合理な事が嫌いで正義感が強く、困っている人がいると何とかしてやりたい、決めたら最後まで諦めず必ずやり遂げる子どもでした。
大学卒業後、電機関係の仕事に就きましたが、一生食べていく仕事をたまたま大学で学んだ学問で決めるのはナンセンスだ。
“人間力”で食べていこうと思い、商人を目指して大阪に行きVANヂャケットに入社しました。
絶好調の時期から倒産までをここで過ごしましたが、ここで学んだファッションや哲学は、後に海外で仕事をするにあたっても大変役に立ち感謝しております。
37歳でVANを辞め、ヤオハン、VANの仲間のやっていた会社など、声をかけていただいたところでプランニングや会社再建を経験しました。
父が商人でしたので、私には小さい頃から商人として名前を残したいという目標がありました。
しかし、まだその目標を達成できていなかったので、元気にやっていけるのはあと10年程度だろうと思い、53歳で独立を決心し、シャツの専門店として会社を立ち上げました。
人々はバブルの時代に良いものを知りました。
しかし、バブル崩壊後はそれが高ければ買わない。
買える値段であれば飛びつくはずだ、と考えた事から、今の鎌倉シャツの製品、価格が生まれました。
私が起業したのは53歳の時。
後戻りできない年齢だから慎重に考える。
だけど、ゆっくりやっている時間も無いから、石橋を叩くけど思い切ってジャンプする気持ちでやってきました。
今、日本の製造業は最盛期の5%しか残っていません。
日本人の良さである、真面目さの活かされた技術を何とか伝承させたい。
中国などの工場での大量生産が主流となりましたが、私は日本を売ろうと決めてスタートしました。
Made in Japanでなければ、世界では戦えません。
日本というものが、私たちの唯一のアイデンティティなのです。
日本の製造業の人々は、下請けとして働き、公平な取引をしたことがほとんど無いので、彼らをこれ以上疲弊させないよう創業以来ずっと100%公平な取引を続けて来ました。
会社が正しい事をすれば、社名がブランド化します。
社名がブランド化することが、世界に出る唯一の切り口なのです。
目標は、日本で年間100万着、世界で400万着を販売する事。
父の商人道、母の想い、そしてお世話になったVANヂャケットの石津さんの想いを受け継いで、和製のブランドを世界へ発信し、立派な商人になってみせます。
◆Maker’s Shirt 鎌倉ホームページ
https://www.shirt.co.jp/
※PC専用ページとなっております
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