本日のスゴイ人は、2013年現在世界11カ国に店舗を持ち、ミシュランガイドにて総数28個の星を獲得しており、「世界一星を持つシェフ」としても知られているジュエル・ロブションの右腕として活躍する日本人。
2003年4月、東京・六本木ヒルズに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」の責任者としてお店をオープンさせた。
2005年9月にはラスベガス MGM Grand Hotelに、
2006年8月 Four Seasons Hotel New Yorkに、
2009年10月 台北に立て続けにお店をオープンさせた。
2010年11月パリ シャンゼリゼに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」の責任者としてお店をオープンさせて経営をしている。
彼は、世界主要都市のオープニング責任者、メインシェフを務め、現在日本でもアイアンシェフとして活躍している。
彼は一体どのようにしてロブション氏に出会い、信用を勝ち得たのだろうか?
さあ・・・ジュエル・ロブションパリ本店総料理長 兼 ロブションインターナショナルコーポレートシェフ 須賀洋介様の登場です!
「出会いに感謝」
実家がレストランを経営していて幼い頃から調理場を見ていましたので、シェフになることは自然だったのかもしれません。
高校3年の頃に、大学に行くことにあまり興味を感じられず、フランス・リヨンに語学留学しました。
しかし現場で必要な料理の基礎もありませんでしたので、半年程して日本に帰ってホテル西洋に勤めました。
社会人になったはじめの頃、現場では結構怒られていましたね(笑)
2年目に移ったお菓子の部署では上司との関係も仕事も順調に行っていたのですが、持病の腰痛がひどくなり、3年で実家に戻りました。
その後、もう一度東京で勉強をしたいと思い、東京のフレンチレストランに入って直ぐに良いポジションを頂きながらも腰痛が悪化して半年で再び辞めてしまいました。
志半ばで諦めなくてはいけなかった事は今でもとても辛いのですが、その文字通り精神的にも「痛い」経験があるからこそ、今があるのかもしれません。
実家のレストランが改装の為に休業していたのでフランスに勉強に行くと、そこでロブション氏の知人に出会い、
「良かったらロブションのラボに来ないか」
とお誘いをうけました。
その方がすぐに日本に来て私の料理を食べてOKを出して下さり、その後ロブション氏に「来なさい」と言われて1週間後にはパリにいました。
それから4年後の25歳の時に、東京の六本木ヒルズでの店舗立ち上げの責任者として日本に戻ってきました。
100名近いスタッフがいる中、若い自分が責任者でやることで当然衝突もありました。
料理長としての経験の少ない自分はいつも力で抑えようと怒ってばかりいましたね。
準備期間から予想外のことばかり起こっていましたが、オープニング当日も朝早くから200名近い人が並び、ありがたいことに来客数も増え続け、そのまま数ヶ月間休みもなかったです。
このオープニングは本当に大変でしたが、後のニューヨーク、ラスベガス、台北、パリの店舗をオープンする際にとても役立ちました。
ロブション氏の元で働き始めて15年が経ちますが、氏と一緒に仕事をできることは本当に毎日が刺激的で楽しいです。
彼は、責任ある仕事を20代の若者であった自分を信頼し、任せてくれました。
彼に出会い、世界中で仕事させて頂けていることにも感謝しています。
私は幼い頃からどうしたら最短で楽しいことができるかを常に考えています。
将来は、日本でレストラン・食のコンサルタントやシェフ、ソムリエ、パティシエなどアーティスト達のグループを育てて行きたいと思っています。
◆ジュエル・ロブションHP
http://www.joel-robuchon.net/#/en/home/
※一部携帯では見られない可能性があります。