本日登場するスゴい人は、埼玉県川越市にある救急病院を立ち上げた医師。
埼玉県は、対人口10万人比で日本国内で最も医師の数が少ない県であることを、あなたはご存知だろうか?
その為、夜間の突然の病気やけがを受け入れられる医療機関も限られている。
一口に救急病院と言っても、重症度によって1次から3次に区別されており、
1次救急病院は軽症患者(帰宅可能患者)、
2次救急病院は中等症患者(一般病棟入院患者)、
3次救急病院は重症患者(集中治療室入院患者)に対して救急医療を行うが、
現状は埼玉県に限らず首都圏の多くの地域で、1次2次救急病院で受け入れられないために、3次救急病院に1次2次の患者までもが集まってしまっている。
彼は、「医療過疎の埼玉県で、県民の皆様の夜間の安心を健康面からサポートしたい」という想いでクリニックを立ち上げた。
さあ・・・
川越救急クリニック
院長/救急専門医
上原淳様の登場です!
「為せば成る」
大学を卒業後、大学の麻酔科からスタートしていくつかの病院に勤務したり、企業の産業医をしたりしていました。
元々は心臓外科医になりたいと思っていて、切った張ったのばたばたとした世界が好きでしたので、他の麻酔科医があまりやりたがらない夜中の勤務も好きで、当直でない日には救急病院の夜勤をしていたこともありました。
産業医をしていた頃に、九州厚生年金病院から「来年から救急に力を入れ2次救急を始めるから、救急を担当する医師を探しているが来ないか?」と声がかかり、それから私の救急人生が始まりました。
2000年の夏、バイクの交通事故で運ばれてきた18歳の少年を助けることができなかった事が悔しくて、3次の救急医療を学ぶことを決意しました。
日本の救急は9割軽症で、重症の場合にはその分野の専門医の先生を呼び、対応するのが通常です。
しかし、外傷の専門は日本にはいないので、救急の専門医がいなければ事故で重傷を負った患者さんを助けることはできません。
私が救急をやらなければ、この病院で重傷の患者さんを助けることができないと思い、37歳で3次救急の世界へ飛び込みました。
埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターに赴任し、当初は救急を学んで福岡に戻ろうと思っていました。
ところが福岡は市内に500床の救急病院が8、9か所あり、その病院が患者さんを取り合うように積極的に救急に取り組んでいたのに対し、さいたま市には500床の救急病院が3、4か所しかない上に、それぞれの病院が急患を押し付け合うような状況で、この風土を変えなければいけないと思いました。
状況を変えるためにどういう物を作れば一番効果的かと考え、比較的軽症の1次、2次を受け入れられる病院を作れば、重症患者を受け入れる大学病院の負担を減らすことができると思い、自分で病院を立ち上げることを決意しました。
ニーズはあると思っていたものの、うまくいくかは全く分からない状態でした。
ただ、10年ここが続けば「僕もやろう」という医者が出てくるのではないかと思い、何か影響を残せればという想いで続け、今では多くの患者さんが頼りにしてくれるようになりました。
昨年、ER機能をもった「救急クリニック」をこれから開業したい医師や、救急クリニックというシステムを応援したい方のために、「日本救急クリニック協会」というNPO法人を立ち上げました。
皆様からの会費は新たな救急クリニック展開の一助として使われ、加入することで欲しい情報も得ることが出来ます。
また、複数のクリニックがまとまることで、薬品や医療機器を共有したり、安い値段で仕入れたりできるようになり、開業のハードルが下がります。
今後はこうした活動を通して、救急をやりたい医師が増えてくれるように環境を整えていきます。
◆川越救急クリニック
http://kawagoeerc.jimdo.com/
タグ:医者