本日登場のスゴい人は、新大久保駅乗客転落事故を題材にした「あなたを忘れない」などの映画を手掛けた映画監督。
大学在学中から助監督として活躍し、1986年、テレビドラマ「愛の嵐」でデビュー。
以降「永遠の仔」「別れさせ屋」など多くのテレビドラマの監督を手がける傍ら、2001年には小栗旬、加藤夏希の出演で話題になった「羊のうた」で劇場映画デビュー。
2007年4月にはその活躍から地元の宮崎県大使に任命された。
さあ・・・
映画監督
花堂純次様の登場です!
「嫌い、嫌われる勇気を持て!」
子供の頃は自閉症スペクトラムいう発達障害をもっていて、「人とうまく会話できない」「地方に住んでいるのに方言で話すことが出来ない」などたくさんの劣等感がありました。
人とコミュニケーションがとれないので、趣味といえば「本を読むこと」と「映画を観ること」。
映画館には3歳の頃から通っていたと記憶しています。
高校入学時に「自分には映画しかない!」と思い、映画研究部に入部。
撮影用のカメラを購入するために地元の映画館と交渉し、チケットを一割引で仕入れて販売してお金を稼いでいました。
独自に「ペアチケット」などを作り、月間300枚売ったこともあります。
大学は日本大学芸術学部に入学。
在籍時に自分で映画を何本か撮影していましたが、ピンク映画の山本晋也監督の助監督として映画界に入り、それからテレビドラマの世界に入りました。
人とのコミュニケーションはすべて映画製作の現場から学びました。
スタッフと話をするために、スポーツ新聞でプロ野球や競馬の情報をチェック。
上位チームやレースに勝った馬などを記憶して話題にしていました。
自分の転機は、テレビドラマ「永遠の仔」に監督として関わったことです。
過去のトラウマなど心をテーマにしたこの作品に出会ったことを、運命的な出会いに感じました。
そして、「このような心の中をテーマにした世界は自分にしか撮れない」と思いました。
この年になるまで挫折は何度もあります。
最初の頃は、「映画監督になること」自体がうれしかった。
しかし「制約や決められた予算の中で仕上げるのが監督」ということが当たり前になってきて、自分を出せないことに苛立ちを感じ始めました。
そこで考えたのは「わがままになろう」ということ。
嫌われても良い、自分の望むことをやる。そう決意して臨んだ結果、初めて自分の作品にファンがつきました。
そして応援者や、出資者も現れてきました。
その時に、初めて壁を突き抜けた気がしました。
誰にでも好かれたいと思っていては、頭一つ出ることは出来ません。
嫌い、嫌われる勇気を持つことで、初めて自分を認めてくれる人が出てくると思っています。
日本の古武術を指導しており、SFやアクション映画が好きなので、近いうちに「SFアクション時代劇」を撮りたいと思っています。
その作品を通じてあらためて「日本人」をアピールしたいと考えています。
昔の日本人が持っていた「生き様」や「勤勉さ」などを、映画を通じて子供たちにも伝えたいと思っています。
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