本日登場するスゴい人は、2014年に『北尾賞』を受賞した弱冠30歳の医療系ベンチャー企業の経営者。
北尾賞とは、ビジネスモデルだけではなく、志の高さを併せ持ったベンチャー社長に贈られる権威ある賞だ。
彼が起業したのは、大学卒業直後。
しかし、それからたった1年半で積もり積もった借金は、なんと5,000万円。売上0円。
しかし、今では医療分野にとどまらず、ベンチャー企業を代表する企業へと成長させ、今は2017年の上場に向けて日々邁進している。
彼のもとには、優秀な人材がどんどん集まっているという。
なぜ、当時23歳だった彼は、5,000万円という多額の借金にも負けず成功を勝ち取ることができたのか?
さあ…
株式会社エストコーポレーション
代表取締役
清水史浩様の登場です!
「すべては、決めているからできたこと。」
小学校6年生の時、父親がガンで余命半年を宣告されました。
すごくショックでしたが、父は最後に入院するまで海外から薬を取り寄せるなど自宅で自己治療をして、3年半生きました。
しかし、父の病気をきっかけに我が家の家計は非常に苦しくなり、僕が何とかするしかないと自覚しました。
父の口癖は、“なんでもいいから1番になれ!”
僕は、父に誓ったのです。
“絶対に、社長になって家族を幸せにする!”と。
それから、社長になるためにすべての行動を逆算して決めました。
大学では週7日アルバイトをしてお金を貯めながら、デイトレードを始めました。
この経験のお陰で、医療市場に目をつけられました。
大学4年生の頃は内定先の会社でインターンをし、人材系の営業をしましたが、医療系ばかり電話して、医療の業界を日々見させてもらいました。
その時、世間話の中で聞いたのが、“特定健診の電子化を国が始める”ということ。
これだ!と思いました。
システムを組むために、学生の時に貯めた貯金と、親や親戚からお金をかき集めて1,000万円を用意しました。
22歳、夢にまで見た起業です。
システムを発注し、友達を口説いて仲間を2人集めて、オフィスも借りて、スタートさせました。
しかし…システム会社に逃げられてしまったのです。
これほどショックだった事は、人生でほかにありません。
同時に、電子化できないことで医療法人から訴えられ、1億の賠償金を支払うことに。
毎日不安に押しつぶされそうになりながらも、みんなの前では元気を装い、迷惑をかけた病院を回ったり、借金や謝罪のために頭を下げ続けたりする日々。その間売上は0円。
自宅のアパートは電気も止められました。
しかし、最後まで信じていたことがあります。
“僕は社長になり、日本一になる!”
長引いていた国の電子化の仕組みがやっと整備され、当社が電子化したカルテが国に受け入れられました。
もう、泣くしかないです。号泣しました。
今年で30歳。
今は投資も頂き、2017年上場の目標に向かってたくさんの仲間たちと日々、医療という分野で戦っています。
“諦めない”
もう、世間では言い古された言葉かもしれませんが、今の僕があるのは、この言葉のお陰としか言いようがありません。
必ず、40代のうちに日本を代表する一兆円企業にして、世界のフィールドで勝負したい。
お父さんに「僕は、父さんのお陰で世界一になれたんだよ!」って胸を張って報告するまで、僕は諦めません。
◆エストコーポレーション
http://est-corporation.jp
◆医療業界に一緒に革命を起こさないか!
エストコーポレーションは人材を募集しています
https://job.rikunabi.com/2016/company/top/r336130084/
タグ:ビジネス・経営者