本日登場するスゴい人は、女優として活躍するスゴい人!
デビューから5年目に、1500人の中からTBS連続テレビ小説「お登勢」で主演に抜擢されてからは、仕事のオファーが絶えず、順風満帆。
結婚し、二人の子供も生まれ幸せいっぱいの中、38歳で乳がんを患い、全摘出を経験。
更にうつ病を患い、一時は「死にたい」とまで思っていたという。
現在は女優としての活動の他、東日本大震災の被災地支援活動として「音無美紀子の歌声喫茶」のチャリティ公演なども精力的に行っているが、どのようにして辛い状況から回復することができたのだろうか?
さあ…
女優
音無美紀子様の登場です!
「家族に支えられて」
38歳の時、乳がんになり、病院に行った時にはすでに進行していて、即手術。
手術は成功したものの跡が大きく、育児が落ち着いたら女優としてもう一花、二花咲かせたいと思っていたのに、もしかしたらもう女優としても使い物にならないかもしれないという不安や、再発の不安から、うつ病になってしまいました。
心の病気は治せないと思い込み、一生治らないなら「死にたい」と思うようになっていきました。
マネージャーに「仕事をしたら元気になるんじゃない?」と言われ、ドラマのオファーを受けたものの、周りの人の反応ばかりが気になって普段通りにお芝居をすることもできず。
結局、耐えられずにそのお仕事をドタキャンしてしまいました。
女優生命もこれで終わりだと更に気持ちが沈んで家にこもり、明日に希望を感じられず、死にたいという考えが頭を離れませんでした。
そんな状況から回復することができたのは、家族の支えのお蔭でした。
夫は私に根気よく声をかけ続けてくれました。
「5年経ったら息子も小学生になるよ。見たいだろう」と言われると、心の底の「生きたい」という気持ちを思い出しました。
また落ち込むと「5年が無理でも3年なら」、最後には「1年で良い」と言って何度も繰り返し、私に声をかけ続けてくれました。
また、娘は私に自信をくれました。
料理を教えてと言われ、キッチンに立つことも辛い時でしたので、震える手で恐る恐る作っていたのですが、私が作るたびに「ママすごい」と言ってくれたのです。
ある時娘に「ママ笑ったらかわいいから、笑ってよ」と言われ、手術以降避けていた鏡に向かってみると、笑えなくなっている事に気づきました。
それからは、毎朝鏡の前で笑顔の練習を始めました。
家族に支えられて、一歩ずつ前に進み、再び「生きよう」という気持ちになることができたのです。
回復してからは、「もう二度と病気はしない」と決め、自然食を摂るなどより一層健康に気を遣うようになりました。
東日本大震災の発生後、私も何か役に立つことをしなければと思い、ボランティア活動に積極的に参加し、「音無美紀子の歌声喫茶」も始めました。
ひと時でも皆さんが元気になるお手伝いをするため、今後もこの活動は継続していきます。
人間は、一歩踏み出した時に初めて希望を持つことができます。
億劫でも、一歩進めば二歩目が出ます。
躓いて前に進めない時こそ、勇気を持って一歩踏み出してみてください。
◆音無美紀子の歌声喫茶
http://otonashi-utagoe.jp/