本日登場するスゴい人は、フライングディスクで行うゴルフ“ディスクゴルフ”の日本チャンピオンになったスゴい人!
彼が競技を始めたのは2002年、大学4年生の秋の事だった。
2005年にはディスクゴルフ史上、唯一国体競技として行われた「晴れの国おかやま国体」で優勝。
国内ツアーでは2010年、2011年に日本ツアーチャンピオン、日本ランキング2年連続1位を獲得した。
近年ではメディアにも多く取り上げられ、ディスクゴルフの広告塔としても活躍する。
彼はなぜ、日本一になることができたのだろうか?
さあ…
フライングディスク日本チャンピオン
菊地哲也様の登場です!
「積み重ね」
小学生から大学生まで野球に打ち込んでいましたが、大学4年の秋、リーグ戦が終わって部活動生活が終わりました。
心にぽっかり穴が開いたようで、毎日朝から部活動をしていたのに部活が無ければ何をしたら良いのかもわかりません。
1週間、自分が何をしたいのか考え続けた結果、何かを極めて1番になりたいと気づきました。
それから、得意な投げる競技で、個人競技で・・・と探していった結果、ディスクゴルフを知り、ディスクゴルフで1番を目指そうと決意しました。
決めてからは気持ちがブレることはありませんでした。
すぐに専門店に行き、「日本一になりたいです」と言ってディスクを買いました。
都内のコースの初心者講習会に参加し、そこでも「日本一になりに来ました」と言うと、当時の日本チャンピオンの方がそのコースで練習をしていたのです。
すぐにその方の所へ行き、練習についてまわりました。勝手に弟子入りしたような感じでしたね。
とにかく、日本一になるための最短ルートを歩いてきました。
2002年に始めて、その年に日本ランク9位に入りました。
しかし、最初に勤めていた会社は忙しくほぼ毎日終電で、週末に練習を詰め込む生活をしていたら、2年で体調を崩してしまったのです。
私は日本一になるために転職し、練習場所のある地域に引っ越しました。
身体を動かす時間を確保できるようになり、これが成績にも反映されていきました。
4年目には日本ランク2位まで上ることができましたが、日本一になるまでにはそれから更に5年かかりました。
日本のトップクラスの選手たちは4強、5強と呼ばれていつも同じメンバーでトップ争いをしています。
2位から1位になった時も、自分の実力が大きく変化したというよりも、それまでの日々の積み重ねや、絶対に1位になりたいという執念で得られた結果だったのだと思います。
目標を達成した時には燃え尽き症候群になりそうでしたが、周りの選手に「まだ1回だから2連覇しないと」と良いプレッシャーをかけて頂き、2連覇につながりました。
私はディスクゴルフに人生を変えてもらったので、今度は競技に恩返しをしたいと思っています。
どの年代の方も自分のレベルに合わせて楽しめるスポーツですので、より多くの人に知って頂けるよう、伝える活動をしています。
勿論、私が強くなければ説得力もありませんので、選手としてもトップであり続けたいと思っています。
◆菊地哲也選手の公式ウェブサイト
http://t2-kikuchi8145.wix.com/tetsuya-t2-kikuchi
◆菊地哲也選手のフェイスブックページ
https://www.facebook.com/TetsuyaT2Kikuchi
◆菊地哲也選手が代表を務める、フライングディスク普及プロジェクト、Tokyo Stylish Sportsのフェイスブックページ
https://www.facebook.com/TokyoStylishSports
◆日本ディスクゴルフ協会の公式ウェブサイト
http://www.jpdga.jp/main/index.php
タグ:スポーツ・格闘技