本日登場するスゴい人は、天気予報の中でも山岳天気予報に特化し、日本初の山岳気象専門会社を立ち上げたスゴい人。
国内・海外での豊富な登山経験を活かし、天気予報をインターネットや衛星電話を活用して24時間体制で発信。
特にヒマラヤの天気予報は信頼が厚く、竹内洋岳氏の8,000m峰登頂やエベレストの登山隊に貢献。
登頂アタックする上での天気予報の的中率は98%である。
彼のこれまでの道のりは決して平坦でなくまさに「エベレスト級」
生死を分ける事故や病気を乗り越え、今もなお人生の登山を続けている。
さあ…
株式会社ヤマテン
代表取締役社長
猪熊隆之様の登場です!
「恩返し」
高校時代まで何をやっても途中で逃げ出していて、「このまま大人になったら駄目だ!」と思い、大学の山岳部に入部しました。
これが大きな人生の分岐点。
同期、先輩に恵まれましたが、私は本当に体力がなかったのです。
10日間の新人合宿では初日から逃げたくなりましたが、なんとか食らいつき、終わった時に一回り成長出来たと感じました。
1ヶ月間の夏山合宿は、1日が終わると精神状態がギリギリになるほど過酷でしたが、「途中で諦めたら今までの自分と同じ。もう1日頑張ろう!」と乗り越え、自信に繋がりました。
人一倍トレーニングを積み、2年経つ頃には他大学の山岳部の同期と比べても体力がついていました。
そんな時、富士山で滑落。
足を複雑骨折し、凍傷になり、死を意識しましたが、24時間後に救出されました。
足の切断を免れなんとか完治したものの、山登りを再開すると激症性肝炎を発症。
精神的にも辛く、30歳近くなりクライマーとして将来に不安を感じ始めた頃、2件の遭難事件の捜索活動を通じて次のステップに進めました。
死亡者も出て生と死を考えショックを受けている後輩たちを見て、彼らと一緒に前に進もうと決意し、海外にも積極的に挑戦し始めると、今度は慢性骨髄炎を発症。
仕事と山登りでハードな日々が続き、遂に富士山で滑落した時に骨に入っていた細菌が爆発したのです。
完治は難しいと言われ、山中心の人生で今から普通の会社員にもなれないし、今後どう生きていこうかと考えた時、気象予報士が浮かびました。
私ほど山に登っている気象予報士はいないはず!
昔から天気が好きで気象庁に入りたかったこともあり、やれるだけやってみようと35歳で猛勉強して資格をとりました。
偶然会ったトップクライマーの竹内洋岳さんから、「俺の予報をやってよ」と言われた時、海外が視野に入りました。
ヒマラヤは通信手段が悪く自分も苦労した場所。
精度の良い予報を出せたら価値がある。
慢性骨髄炎の治療も諦めかけていた時、トップクライマーの小西浩文さんから「それしか病院を回っていないで諦めるのか」と言われて諦めずに病院に通い続け、その後名医とも巡り合えました。
山に登れなくなった時、辛くて山を捨てようとしましたが、山を通じて多くの素敵な人と出会えました。
これから山を通じて恩返しをして行きます。
過酷な人生を通じ、素晴らしい人と出逢えたので、彼らが先生になり子ども達が自発的に行動出来る山の学校づくりも手がけていきたいです。
◆猪熊隆之プロフィールページ
http://yamatenki.co.jp/prof.php
◆株式会社ヤマテン
http://yamatenki.co.jp/
◆山の天気予報
https://i.yamatenki.co.jp/
◆著書『山岳気象予報士で恩返し』
http://www.amazon.co.jp/dp/4883205975
◆著書『山岳気象大全 (山岳大全シリーズ) 』
http://www.amazon.co.jp/dp/4635210030
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