TUBE、ZARD、WANDS、DEEN、相川七瀬、いずれも90年代の音楽シーンを代表するアーティスト達である。
彼らをはじめ多数のアーティストに楽曲提供を行い、音楽プロデューサーとしてまさしく一時代を築き上げたスゴい人が本日登場する。
1992年発表の自身の楽曲『いつまでも変わらぬ愛を』は、ポカリスウェットCMソングとして広く知られ、ミリオンセラーとなった。
また翌年、オリコン史上初のCDシングル年間売り上げ1000万枚超えという快挙を成し遂げた。
そんな彼だが、少年時代は「ちょっと変わった子ども」だったという。
どのようにして、時代を代表するヒットメーカーになったのだろうか。
さあ…
シンガーソングライター
織田哲郎様の登場です!
「ホントにそうか?」
子どもの頃はとにかく落ち着きがなく、思いついたことをすぐに言動に表してしまう子だった。
当然、授業などにも対応できなかった。
その一方で、自分が好きなことには人一倍打ち込むことができた。
理解のある先生に恵まれたことは幸運だったと思う。
楽器に触れたのは小3の頃、家にあったウクレレを手に取ったのが最初だった。
少しいじったら弾けるようになったから、多分コードという概念はすでにあったのかな。
ただ、その頃は絵も描いていて、当時は漫画家志望、中学では画家を目指していた。
その中学時代にはブラスバンドに所属して一通りの楽器に触れ、本格的に音楽にも傾倒し始めた。
その後、親の仕事の都合で2年間イギリスに滞在することになったけれども、この頃にT-REXやデヴィッド・ボウイなど、当時流行のグラムロックを現地の日常的なものとして味わえたのは、音楽体験としてはかなり贅沢なものだったんじゃないかな。
そして、帰国後に両親の地元・高知の高校に入学して、ギターを弾くようになった。プロ入りを意識し始めたのもこの頃だね。
卒業後の19歳の時、後にBeingを設立する長戸大幸さんと出会い、あるきっかけで当時流行のディスコソングの録音に関わったことから、プロとしてのキャリアをスタートさせた。
これが30万枚の売り上げだと聞かされた時は本当に驚いたね。
90年代後半になると相川七瀬のプロデュース等、あまりに多くの業務に追われてストレス過多になり、このままでは早晩潰れてしまう、との危機感さえ感じるようになった。
そんな中、2000年にスペインを訪れた際に現地で強盗に遭い、首を絞められ喉の骨を損傷するという事態になってしまってね。
元の声に戻らないとわかって絶望しかけた一方、ひどく合点がいった思いだった。
激務をやめて一旦仕切りなおすべきなんだな、って。
そのおかげで音楽家としてのあり方を見つめなおすきっかけになった。
子どもの頃からの経験で、俺は周囲の意見に必要以上に左右はされない、という考えでいる。
人の意見だって、その時々の流行だって、「本当にそれは正しいのか?」と疑ってみることは大事だと思う。
何が好きなのか、本当はどうしたいのか、それは無意識にでも自分自身が一番良く分かっているはずだから。
◆織田哲郎 公式サイト
http://t-oda.jp/
◆2015年に新バンド「ROLL-B DINOSAUR」を結成し、アルバムをリリース
http://team-roll-b-2015.jimdo.com/