17歳の少年がサーフィンと出会った。
人並み外れた行動力により、彼の人生はサーフィンを中心に回り出す。
サーフィンと出会ってたった1年半で、全日本ジュニア選手権にて優勝。
ハワイで日米親善サーフィン大会を自ら主催し、23年間の長きに渡り世界的に有名なプロサーファー達を輩出した。
日本プロサーフィン連盟 ロングボード部門設立にも尽力し、初代理事長を務めた。
順調に思える人生だが、人並み外れた苦労も経験したという。
さあ…
有限会社マーボーロイヤル
代表
小室正則様の登場です!
「人のために」
毎日のように海でナンパをしていた17歳のある日、カッコいい外国人がサーフボードを小脇に抱えて現れました。
初めて見るサーフィンにナンパどころではなくなり、ずっと彼らの波乗りを見続けてしまいました。
上がってきた所を見計らって片言の英語で話しかけ、板を貸してもらい沖へ出ました。
板の上に立ち上がった時、「こんなに面白いモノがあるのか!」と稲妻のような衝撃が走りました。
板を家に置いてもらうように交渉し、次の日から学校から帰ると海に入り、1日7時間ほど海に入っていました。
1年半後、全日本ジュニアで優勝し、ハワイに招待されました。
翌年はトロフィーとして鎌倉で兜や刀の模造品を買って行き、大会を開くので宣伝して欲しいとハワイの新聞社に頼んで回りました。
するとその記事を見た日系の人達がスポンサードしてくれたのです。
日米親善サーフィン大会を始め、10年目にハワイ名誉市民賞を頂きました。
初めてハワイに行った時にサーフィンの神様と呼ばれていたジェリー・ロペスと知り合い、彼のブランド「ライトニングボルト」と契約し、サーフショップをオープンしました。
売上も50億円まで伸び、社員は60人。しかし、忙しすぎてノイローゼになりました。
その後、ジェリー・ロペスが権利を売った会社と契約しなおしましたが、「5年で権利を放棄する」という内容にサインしてしまっていたのです。
裁判をして8億8千万円とられ会社は倒産。
ある日自宅に帰るとシーツにきちんとアイロンが掛かっていて、想い出の写真が置かれ、「愛してました」と書かれた紙の横に7000万の大金が積まれていて、部屋中を探すと妻がお風呂場で亡くなっていたのです。
愛する人の死を目の前にして気が狂いそうになりました。
365日、雨の日も雪の日も毎日お墓参りに行きました。
死のうと思っても死に切れない日々。
お墓参りを毎日していると、人の情けや有り難みを痛感し、これからは人の為に尽くそうと思うようになりました。
妻が亡くなり、16年間はお金に追われる生活で本当に辛かったけれど、今年になって道が開け、残り5?6年で借金も返せるめどが経ちました。
私が真摯に生きている姿を周りは見ていてくれたので、銀行も含め本当に助けて頂きました。
借金を返したら、お金や名誉はいらないよ。
世界中の海でサーフィンをしたいね。
そしてサーフィンの良さを若い世代に伝えていきたいよ。
◆マーボーロイヤルHP
http://maboroyal.net/