本日登場するスゴい人は、東日本大震災の被災地で似顔絵を描くボランティアを行っているスゴい人!
彼は沖縄在住のイラストレーターだが、2011年9月の活動開始以降、毎月被災地に足を運び、現在までに描いた似顔絵は6千人以上。(2015年末現在)
彼の描く似顔絵は目の前にいる人だけでなく、亡くなった方を家族と共に描くことでも喜ばれている。
彼はなぜ、似顔絵によるボランティアを始めたのだろうか?
さあ…
映像クリエイター・イラストレーター
森琢磨様の登場です!
「出会いに感謝」
震災直後、宮城県の友人と全く連絡がつかなくなり、2日後に無事の知らせが届いた時に安心すると同時に、自分にできることは無いかと考えて、家族写真をメールで送ってもらって絵にしたら喜んでもらえたのが、この活動の始まりです。
もしかしたら他の人にも喜んでもらえるのではないかと、避難所に行ってみようと考えていた5月、父が突然倒れて亡くなってしまいました。
親孝行もできずに父を亡くしてしまい、喪失感に襲われましたが、父にできなかった恩返しを他の人にしてあげたいと思い、震災から半年後の9月から活動を始めました。
最初は友人のいる東松島のボランティアビレッジに行きました。
実際に足を運んでみると、新聞やテレビで見るのとは状況が違うことも多く、衝撃を受けました。
似顔絵で果たして役に立つのか?と半信半疑でしたが、実際に描いてみると、おばあさんから「家も流されて写真も何も残っていないから、これを私の遺影にするわ」と言われ、自分がどんな風に役に立てるかは分からないけれど、まずは1年間通おうと決めました。
毎月通い続けるうちに地元の人とも仲良くなり、1年後には市役所が場所を貸してくれました。
役所の職員さんが描いてほしいと携帯電話に入った亡くなった娘さんの写真を持ってきて、似顔絵を描いたら泣いて喜んでくれたのです。
その時、絵の中だったら亡くなった方と生きている人を一緒に描くことができると思い、ご家族と一緒に笑っている娘さんを描くと、更に喜んでくれました。
それから亡くなった方も描くようになり、亡くなったお子さんの成長した姿を描いてほしい、などと言ったご要望も頂くようになりました。
これまで4年半ほど活動を続けて来て、今では私にとって生活の一部になりました。
使命感などではなく、今まで見続けてきたから、今後も町がもとに戻っていく姿を見届けたいので、続けられる限り続けたいという気持ちです。
出来ないことに歯がゆさを感じたり、すべてが良い事ばかりではなく悩むこともありますが、多くの人と出会い、ご縁がつながっていることに感謝しています。
震災からもうすぐ5年になりますが、時間が経つと離れた場所では話題にならなくなってしまいます。
でも、東北では震災の事を忘れる日はありません。
皆が現地に足を運ぶことは難しいけれど、知ってほしいし、知ってもらうための活動をこれからはしていきたいと思っています。
◆活動の様子はFacebookをご覧ください
https://www.facebook.com/OkinawaWoody
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