創業85年の歴史を持つ老舗温泉旅館“鬼怒川温泉ホテル”
このほか、「鬼怒川金谷ホテル」「THE KEY HIGHLAND IZU」など旅館業・ホテル業を中心に事業を展開するKHKグループを率いるスゴい人が本日登場する。
歴史ある老舗旅館を持つ同社だが、一時は経営の危機に瀕していた。
そこから、リブランディングを軸に立て直しを実行。
彼はどのようにしてリブランディングを成功させたのだろうか。
さあ…
金谷ホテル観光株式会社
代表取締役社長
金谷譲児様の登場です!
「にっぽんの新しい老舗」
父は当然私が家業を継ぐものと思っていましたが、母は自由にさせてくれて、29歳までは海外のホテル等に勤めていました。
高校卒業後18歳でアメリカに渡り、最初は親の援助を受けながら短大に通いましたが、その後はビザを取得するために自分で働いて学費を稼ぎながら4年制大学に通いました。
ホテルに就職し、ハウスキーピングのアシスタントマネージャーやフロントデスク アシスタントマネージャー等をしていました。
特にハウスキーピングでは母くらいの年齢の人達をまとめる仕事で、最初はなかなか話も聞いてもらえませんでしたが、上から指示をするのではなく、まずは仲良くなって一緒に仕事をすると、次第にチームワークができました。
帰国後の経営でもこの経験は大いに役立ちました。
2001年に9.11が発生し、同時期に当社のメインバンクであった足利銀行が破たんしたことなどをきっかけとして、家業を手伝ってほしいと父に呼び戻されました。
それからは日々、再生に奔走しました。
再生機構が入り、父は会社を離れ、私だけが社員として残ることに。
振り返れば、生きるために働くのではなく、毎日働くために生かされているような日々でした。
もう一度やれと言われてもできませんが、数字の見方から教わり、売り上げだけでなく、どういう方向で商売をしたいかを考える時期になり、すごく勉強になりました。
再生というのは「昨日までが間違っていた」という前提でスタートするため、従業員の士気を下げないように、方向性を示すことを常に心がけていました。
ただ、当時自分は一社員でありトップではないので、難しさはありましたね。
最初は社内が混乱していて、なかなか数字が出ませんでした。
従業員や株主の皆様へ向けてどうやって伝えれば良いかをよく考え、伝えたいことを“見える化”し、ビジョンを明確にしていきました。
チームとして一緒にやっていくように働きかけ、同時に自分も一緒に取り組みました。
この時には、アメリカでのマネジメントの経験が活きました。
従業員はみんな一生懸命やってくれるので、私は方向性を示してチームを導くことを徹底しました。
今は、楽しみながら仕事をするように働きかけています。
仕事なのでもちろん厳しいことはありますが、特にサービス業というのは、自分が楽しんでいなければ、人を楽しませることはできないのです。
今後は2020年までに200室増室を目標として掲げています。
昨年は伊豆に、来年(2017年)には箱根に新たな宿泊施設を展開します。
また、旅館・ホテルの枠を超えて、物販など他分野にも力を注いでいきます。
◆鬼怒川金谷ホテル
http://www.kinugawakanaya.com
◆鬼怒川温泉ホテル
http://www.kinugawaonsenhotel.com
◆THE KEY HIGHLAND IZU
http://the-key.jp
◆KANAYA RESORTS
http://www.kanayaresorts.com
◆JOHN KANAYA
https://johnkanaya.jp
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