ブラジルで生まれ、ブラジル音楽好きな両親の元で、10歳までブラジルで育った。ブラジル音楽のお店を経営する実家で育ったため、幼少期からブラジル音楽に親しみ自身も歌う事が大好きであったという。
15歳から演奏を始めた彼女は、1日に3回のライブをほぼ毎日、何年にも渡り行っていた。
日本ゴールドディスク大賞のジャズ部門を受賞し、1999年発売のアルバム「DREAM」は20万枚を越えるヒットを記録するなど、日本におけるボサノヴァの第一人者としての地位を不動のものとした。
しかし、本人の作品制作、ライブ活動や音楽性は全く一貫して変わらない。
どうして、そこまで一貫してひとつの音楽を突き詰めることができるのか?
さあ・・・ボサノヴァ歌手、小野リサ様の登場です!
「感動体験を音楽で他の人にシェアできる素晴らしさ」
陽気なブラジル音楽が好きな父と母のもとブラジルで生まれ、10歳までをブラジルで過ごした。
日本へ帰ってきてから両親は四谷に「サッシペレレ」という、ブラジル音楽が聴けるレストランを開店した。そのような環境で育った事もあり、ブラジル音楽と歌う事が好きになった。父が、音楽家になりたかったという自身の夢を私に託したのだとも思う。
15?16歳で初めて人前で演奏した。実家のサッシペレレで、まだまだ演奏も上手くなかったが、良い経験をさせてもらった。それから、音楽活動が徐々に増えていき、ついには、毎日ライブをするようになった。ジャズのライブハウスは1日に3公演程行うので、計算すると、1年で1000公演も行ったことになる。
この頃の経験のおかげで、今、海外の何千人もの人を前にするコンサートでも堂々としていられるのかもしれない。
音楽という、一握りが成功する業界で活動を続けていくという事への不安も特になかった。
好きな音楽にこだわればこだわるほど、続ければ続ける程、仕事は増えていったし、何より、毎日が充実していたためである。
結果を求めていたわけではなく、演奏することに喜びを感じていた。いつもライブに足を運んでくれる人の存在が、とにかく嬉しかった。
次々に大きなステージに呼ばれる機会が増えたが、ステージが変わっても音楽性が変わることはなかった。
私が大切にしてきたことは、自分とリスナーの関係だ。きれいな夕焼けをみると、この夕焼けを見た感動を共有したくなる。
その時感じた感動を音楽の中に入れ込む。感動することと、感動を伝えるということの大切さ。
感動への情熱。これを、大切にしてきた。感動を伝えることで、私もまた感動する。
For You = For Me
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