今ではワイドショーでおなじみの新聞各紙を読み上げ視聴者に情報を届ける“新聞一気読み紹介”。
このコーナーを日本で初めて行ったスゴい人が本日登場する。
おかっぱ頭とビッグフレームの黒縁メガネがトレードマークで、“街かどテレビ11:00”では街から生放送で番組を視聴者に届け、お茶の間の人気者となった。
他にも
“あの人は今!?”
“痛快なりゆき番組 風雲!たけし城”
“スーパーワイド”
など数々の番組のリポーターを務めた。
山田優や栗山千明など多数の著名人も着用し、近年若者の間で流行している、大きな黒縁めがねの“元祖”でもある。
彼がタレントになったきっかけとは?
さあ・・・タレント大木凡人様の登場です!
「お酒がきっかけで」
芸能界に入る前はヤマハで楽器を売る営業をしていて、まさかタレントになるとは思ってもみませんでした。
お酒が大好きで、年末に田舎に帰るためのお金も全て飲み代に消えてしまい、大阪の宗右衛門町のショーをやるクラブでバイトをすることにしたんです。
ある時、司会の人が病気で休み「お前ひょうきんだからやってみろ」と言われ、急遽司会をすることになりました。
冷や汗をかきながらも何とか司会をやり終えたら、右ポケットがパンパンに膨れるほどたくさんのチップをお客さんがくれたんです。
これだけチップをもらえれば1日3軒ハシゴして飲めると思って、ヤマハを退職しました。
僕は何でも突き詰める性格なので、司会のために毎回最低6つは新しいネタを仕込んでステージ毎に司会の内容を変えていましたね。
こんな事をしているのは綾小路きみまろと僕しかいなかったので、仕事が次から次に舞い込んできて、1日に昼間、夜間、夜中の3回司会をしていました。
有名じゃない司会者として、日本で一番忙しかったと思います。
夜中の仕事は寝る時間が無くなるから最初は断っていたけど、お酒が飲み放題だったから仕事を受けることにしたんです。
そこは国会議員から社長、メディア関係者まで大物がくるようなクラブでした。
そのクラブが縁でメディア関係者から声をかけてもらって、ラジオやテレビに出ることになったんです。
ピーク時は、テレビやラジオのレギュラー番組を何本も抱えて年間2回しか休みがありませんでした。
でも、芸能界の仕事も水物なんです。
10年程経った頃、仕事がパタッと切れてしまったんです。
子供もまだ小さかったし、本当に大変でした。
那須の方に買っていた家に引っ越すつもりで手元に残っていた最後の20万円を使って、今までお世話になった人にご馳走していました。
そうしたら、
“街かどテレビ11:00”でお世話になったプロデューサーが「ちょうど良かった。凡ちゃんに頼みたい仕事があったんだ」と言って、仕事がもらえたんです。
それが、“スーパーワイド”の中で夕刊を一気に読んで伝える“先読み編集局”というコーナーだったんです。
これが大当たりして、視聴率はうなぎのぼりでした。
芸能界で成功するためには、次の5つのことができないと成功できません。
1.挨拶がきちんとできること
2.人柄が良いこと
3.遅刻をしないこと
4.周りへの気配りができること
5.いつも健康で身体が丈夫なこと
これにプラスして、運と視聴者の要望に応える芸ができることです。
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