人気女性誌『anan』や『Hanako』を通じて数々のブームを仕掛けたスゴい人が本日登場する!
大学を卒業してから出版業界一筋で働き、特集責任者として多数の実績を残してきた彼にも、編集を離れなくてはならない時期があった。
彼が実践した思うように行かない時期を乗り越える方法とは?
さあ・・・流行仕掛け研究所代表 島田始様の登場です!
「思い立った日が吉日」
大学を卒業後、平凡出版(現在のマガジンハウス)に入社し、『anan』や『週刊平凡』などを担当して売上部数を順調に伸ばしていました。
ところが、36歳の時に突然、総務部への異動の話がやってきたのです。
一般的には、出世するチャンスでもありますが、当時のマスコミ業界では、30代後半で管理部門に異動したら現場には戻れません。
現場でクリエイティブな仕事をしたかった私は、絶望感で落ち込みました。
退職も考えて直談判しましたが、ある先輩から言われた言葉で異動を受け入れることにしました。
思うように行かない時は
「新しい事を3つ、すぐに始めること」
今できない事にこだわり続け「エディタースクールに行く」のではなく、全く違う事に挑戦しろと言われ、私はピアノとデッサンとフランス語を始めることにしました。
最初に行ったデッサンの学校で高額な授業料を突きつけられ、偶然隣接していたフランス語学校を訪ね、授業料の安さに感動してその場で入学手続きをしました。
そこに通っているのは、将来が不安で語学を学ぶOLかフランス語圏に転勤予定の安定したビジネスマンばかり。
授業後、分からない箇所を教えてもらううちに、いつしか私は女性たちの相談役となっていました。
結局、総務部に籍を置いた1年ほどの間フランス語しかできませんでしたが、これが『Hanako』の創刊につながる重要な出会いとなりました。
女性週刊誌を立ち上げることとなった時に、彼女たちから聞いたOLたちのリアルな将来への不安や財テクなどの情報をもとに新雑誌の企画を立て、『Hanako』を創刊することができたのです。
諦めていた編集へ戻ることができました。
中小の出版社は、既に流行っているものを追っても大手が取りこぼした僅かな読者しか獲得できません。
ですから、まだ誰も興味を持っていない所に興味を持ちそうな“エサ”(=アイデア)を撒いて、そこに人々が集まるようにする。
新しい市場を創造するわけです。
そのために、人の真似をせずに「考えること」が求められ、入社以来アイデアを鍛えられました。
『Hanako』の特集でブームになったティラミスも、当時女性に支持されていたのに、出している店が一店もなかった。
ホテルのレストランを回って作ってもらえるように交渉し、それを記事にしたことでブームを生むことができました。
仕掛けです。
ブームは待っていてもつかまえられません。
あるものをどんな仕組みでしかけて、どう表現すれば、ブームになるのか。
それが勝負なのです。
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