昔懐かしいお菓子“タマゴボーロ”
タマゴボーロは16世紀にポルトガルから伝えられたお菓子。
ボーロとは、ポルトガル語でケーキや球を意味している。
タマゴボーロが広まった昭和初期には、数社の菓子メーカーがシェアを競っていた。
その中で、ボーロ菓子で他社を圧倒し大成功を収めたのが、本日登場のスゴい人!
彼は、それまで手作業で効率の悪かった作業工程に戦後、いち早く機械を導入。
人件費を削減してタマゴボーロの大量生産に成功し、全国シェア60%を達成して日本一のボーロ菓子メーカーとなった。
しかし、機械化をする前には、地方展開した札幌で大きな壁にぶつかった。
さあ・・・竹田製菓株式会社 代表取締役 竹田和平様の登場です!
「災い転じて福となす」
中学生の頃、家は酷く貧乏で農作業をしていた。
だけど、豊臣秀吉の太閤記を読んで秀吉も19歳まで放浪をしていたことを知った。
それでも秀吉は天下を取ったんだから今は貧乏をしていても大丈夫なんだと将来を心配することが無くなった。
秀吉は日本一の草履取りになった事で出世した。
人のやらないことをすれば日本一になれるとこの時学んだね。
中学を卒業してすぐにボーロ菓子屋になった。
そこで、ボーロ菓子で日本一になろうと決めたんだ。
自分が作ったボーロ菓子をお客さんが「おいしい」と言って食べてくれるのが嬉しかった。
22歳の時に全く知らない土地にいって自分の腕を試そうと思った。
それが札幌だった。
名古屋で作っているものをそのまま札幌に持っていっても売れると思ったんだね。
だけど現実は厳しくて、問屋に卸した商品は倉庫に山積みにされている。
このままでは、次の発注がこない。
「俺の菓子が売れないとはどういうことだ?」と夜道をブラブラしながら考えた。
そこで、まずは札幌で何が売れているか、徹底的に調べることにしたんだ。
札幌は寒いから、生きるのにたくさんのカロリーを必要とする。
だから、自然とカロリーの高いものをおいしいと感じていることに気づいた。
それで、ボーロ菓子にクリームをサンドしたお菓子を作ることに決めたんだ。
最初はクリームを作ったことも無いから試行錯誤を繰り返した。
それに、お菓子を作る金型も作らないといけない。
昔は金型も手作りだった。
だから職人にお願いして「あんたの腕に新商品が売れるかどうかがかかっている」と、普通は2ヶ月かかるところを1週間で仕上げてくれと無理やりお願いして作ってもらったりもした。
そうしてできたパインクリームをサンドしたボーロは発売と同時に一気に売れたんだ。
マーケットを知ることがどれだけ大切か、身に染みてわかったよ。
それから名古屋に帰ってボーロ菓子の製造の改革に着手したんだ。
この機械化がまた上手くいった。
もし何か障害や困難なことが立ちはだかっても、想定外のことが起こったと思うだけだよ。
そしてことが起こったら傷口を広げないようにスピーディに対処する。これが大事なんだな。
ありがたいことに、一日に生産したボーロを積み上げると富士山の高さを越えて日本一になったよ。
老齢に達して、天とわくわくありがとうで生きることが大事。
天と共に悠々自適に生きると決めているよ。
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