大阪名物の串カツをチェーン展開して大ヒットし毎月のように出店を続ける“串カツ 田中”
この大ヒット店を生み出したスゴい人が本日登場する。
彼は10年勤めたトヨタを退職し、飲食事業を立ち上げ、これまでにいくつもの業態を経験してきた。
独立から10年が経ち、ギリギリの状態で経営していた頃に起きたリーマンショック。
彼が「どうせ散るなら華々しく」という思いで出店したのが、「串カツ田中」だった。
さあ・・・株式会社ノート代表取締役 貫啓二様の登場です!
「常に新しい事に挑戦する」
親がすごく厳しくて、「大企業に行きなさい。それが幸せだ。」
と言われて育ってきました。
中学校からやんちゃに過ごしていて、親から厳しく管理されていました。
自分がチャレンジしたいと思ったことで、人の言う事を聞いて辞めて良かったと思う事は一つもありませんね。
高校卒業後、トヨタに就職して何の不満も無く働いていましたが、入社から10年経ったある時
「ここにいてもずっと変わらない」と思って会社を辞め、600万円の借金をしてショットバーを始めました。
ショットバーで接客業にのめりこみ、デザイナーズレストラン、東京進出して高級京懐石と、色々な業態にチャレンジして来ました。
結構ノープランでやっていましたね(笑)
一番大変だったのはリーマンショックの時。
「これはもうアウトだな」と思った時に、副社長の田中がずっとやろうと言っていた串カツに業態を切り替えたんです。
副社長の実家には美味しい串カツのレシピがありました。
そのレシピに助けられました。
仕事をしていると常に「こうした方が良かった」という所はありますよね。
その経験をもとに無い部分を補って、大事な部分は残して、失敗したところは切り取って、常に改善して新しいものに臨んで行き着いたのが、「串カツ田中」だったんです。
高級割烹のオーナーから串カツ屋として前掛けを掛けて店に立った時に周囲の人から「落ちた」と言われることもありましたが、自分では、これで店舗数を増やしてもっといける。
と確信がありました。
「串カツ田中」は1店舗目から信じられないくらいのヒットになりました。
2店舗目以降も、どこに出しても当たるんです。
多店舗化できるビジネスモデルに出会うのって、宝くじに当たるようなものだと思うんです。
ただ運が良かっただけでは無いけれど、僕はくじだけは数を引く努力をしてきたから、当たりを引けたんです。
守りに入って勝負を諦める事はしませんでしたからね。
当たりくじを引かせてもらったので、ここからは実力で展開していきます。
現在、42店舗。
今後は、300店舗を目指しています。
そのために、新たな戦略として、大きい駐車場のついたロードサイド店舗を9月にオープンしました。
ロイヤルチェーンになるためにはロードサイドを押さえることは必須だと思っています。
これからも現状を維持せず、常に新しい事に挑戦して、お客様を笑顔にする事で社会貢献をしていきます。
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