諸外国に比べて日本の法人税が高いことや日本経済の先行きへの不安などから、今、海外に目を向ける経営者は多いと言われている。
本日登場のスゴい人は、約30年前にハワイに渡り、全くのゼロからハワイの日系ラーメン店の製麺シェアのほぼ100%を達成した。
その勢いはハワイだけに留まらず、今では、ロス・ニューヨークにまで工場を展開している。
海外でのラーメンブームを支えている人と言っても過言ではない。
昨年、テレビ東京“ソロモン流”に出演し、ハワイでの活躍ぶりや家族とのハワイライフが特集され、海外で活躍している日本人としても注目されている。
海外で事業を成功させるための秘訣とは?
さあ・・・サンヌードル 代表取締役 夘木栄人様の登場です!
「一生懸命、麺に一筋です」
私が小学生の頃、その当時珍しかったのですが、父親が銀行員から脱サラして事業を始めました。
いろいろやった中で製麺業にたどりつき、私は幼い頃からトラックの荷台に乗り込んで配達を手伝っていた記憶があります。
勉強が全く好きでなかった私は、高校を卒業して他の製麺会社で修行。
それから、父親が海外展開を考えてハワイに工場を作ったタイミングで父親の会社に転職し、ハワイに行きました。
この頃はまだ、一生に一度ハワイに行けたら幸せという時代でしたので、私のように海外に居住しようとする人など皆無でした。
しかし、そのタイミングで父親の会社が倒産し、私はハワイという異国に3台の製麺機と共に取り残され、途方にくれました。
しかも、実際に営業しようとハワイの市場を見ていると、製麺会社が20社もあるのにラーメン屋はたった4件。
もし、事前に市場調査をしていたら間違いなくやっていませんよ。
私には、製麺しか出来ないのです。
でも、それしかできないからこそ、ハワイでほかに目移りもせずにやってこられたのです。
製麺でしか、世の中の皆様のお役に立てない。
一時期はビバリーヒルズの豪邸を見て、「一袋30円の麺を売り続けても私はこんな家には住めない」と諦めかけたこともありましたが、諦めたところで、私には他に出来ることがない。
製麺しかないのです。
6年間は、ハワイに住んでいながらワイキキのビーチなど行ったこともありませんでした。
もう、必死でした。
毎日、営業と毎日、ダメ出しをされて麺の改良改善の日々。
でも、一切不安はなかったです。
私には、“できるまでやる”というたった1つの自分との約束があるから、それを日々淡々とやるだけです。
私のような学歴の世界ではなかなか目が出なかった人間でも、私のような英語が全くできなかった日本人にだって、夢とVISIONさえあれば、海外でだって仕事はできる!
それを私は、これからの人生、製麺屋を通じてずっと伝え続けていきたいです。
私ができたんだから、可能性の塊である今の若者たちにできないわけはない!
◆サンヌードル公式HP
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