実写映画?「Space?Battle?Ship?ヤマト」の宇宙戦艦ヤマトや宇宙兄弟のロケットなど、これら実写で再現が難しい物体を作りだすのが、本日登場する3Dモデラー。
一般にはあまり馴染みはないが、大作であれば映画1本に対して1年近い時間をかけて多くのプロップをつくることもある。
毎日10時間?20時間パソコンの前に座っての地道な作業は、頂上の見えない山に登るかのようだ。
この業界を牽引する実力者が本日登場する。
好きで、好きでやり続けていたら、いつの間にかここまで来ていたという。
さあ・・・3Dトップモデラー帆足剛彦様の登場です!
「日本のCGのレベルは世界水準へ」
幼い頃は、ウルトラマンや仮面ライダーなどの画面の向こう側のヒーロー達に心を奪われ、その世界で働きたいと強く思っていた。
好きが高じて学生時代はスーツアクターとして活動した。ヒーローの中の人である。
この仕事をずっと続けたいと思ったが、今でこそ仮面ライダーや戦隊ものの主人公は俳優としてのスター街道が築かれている時代であるが、この当時は、まったく未来が見えなかった。
けれどキャラクターを愛する世界に関わっていたかった、少しでも近い世界をと、バンプレストのプロデューサーとして大学新卒の入社を決めた。
入社してからは、ゲームのプロデューサーとして6年間会社の広告塔としてTVに登場することも多かった。
そんな中、隣の部署に3Dの制作スタジオがあった。Windowsもなかった当時としては高いレベルの環境がそこにはあった。漠然と「3Dをやってみたい」という想いと「自分ならやれる」という自信があった。
すぐさま部署移動を希望した。しかし、映像の学校に通ったことも無かったため、お前には無理だと一蹴された。けれども、思いは全くぶれることがなく、まずはその職場を辞めるに至った。その頃、スクエアエニックスがファイナルファンタジー7を制作するために、大量に人を募集していた。ほぼ無経験であったが、CGは出来ないが面接で覚えていた専門用語を連発しなんとか合格した。
CGの専門教育を受けていなかった分周りの人が何を話しているかわからない時もあったが、それでもよりよい作品づくりへの探究心だけは誰にも負けなかった。
また、ものを見る見方は人と違ったと思う。単純に一つの四角を作る場合でも、単純な四角形なのか素材が何で作られているかを見極める力が役立ったのかもしれない。
当時世間に大変話題になった、ファイナルファンタジーのフルCG映画をつくるということで、ホノルルスタジオに移動して製作に加わった。
現地において最先端の環境に触れながら、アニマトリックス等の大作にも参加した。ホノルルのプロジェクトが解散後もアメリカにとどまり修行。帰国後はフリーとしてALWAYSシリーズや、海猿、宇宙戦艦ヤマト、最近では宇宙兄弟など、多数の有名作品に携わった。
今の想いは、3DCGクリエイターの国内の仲間を多く持ちたいということ。自分が経験したからこそ言えるが、監督と直接やり取りしながら形を作ることはとても楽しい。そして、国内のレベルは決して海外に引けをとらないレベルになってきていると思う。海外修行後でも国内で勝負する人も増えて日本のVFXを盛り上げる人が増えてほしい。