ファッショナブルな衣装を身にまとい、ヒゲに坊主頭という印象的ないでたちでテレビなどのメディアでもおなじみの、元カリスマバイヤーのスゴい人!が本日登場する。
伊勢丹を卒業し、独立後には福助の社長に抜擢され、会社の再生に成功。
その後、イトーヨーカ堂の取締役執行役員に就任し、スーパーの衣料品改革にも取り組んだ。
現在は、かねてからの夢であった「百貨店」も作り、日本を元気にするために一橋大学イノベーション研究センター教授米倉誠一郎氏らとともに「日本元気塾」で講師を務めている。
彼が人生で大切にしているものとは?
さあ・・・株式会社シカタ 代表取締役プロデューサー 藤巻幸大様の登場です!
「藤巻流仲間の増やし方」
伊勢丹に入社してから3年間、婦人服のセール売り場で呼び込みをしていました。
商品の見せ方によって売れ行きが変わったり、流行の色やデザインがあったり、「売れるものには売れるだけの理由がある」という商売のイロハを叩き込まれました。
それから、バーニーズジャパンの立ち上げスタッフをやらせてもらったり、若手デザイナーの商品をセレクトした“解放区”という新しい売り場を企画したり。社員食堂のネズミ退治まで、何でもやりましたよ(笑)
本当に自由にやらせてもらったし、色々と学ばせてもらいました。
私は今でも伊勢丹に感謝していますし、大好きです。
でも、このままでは伊勢丹を卒業するタイミングが無くなってしまうと思ったのです。
だから、大好きな伊勢丹を辞めようと決心しました。
伊勢丹時代の仲間とは今でも付き合いが続いているし、伊勢丹の半径1キロで生活している人はみんな友達です。
そば屋のおばさんから駐車場の呼び込みのおじさん、花屋のお兄さんとも仲良くしてきたから、その友人達が一番の財産ですね。
福助を辞めて、イトーヨーカ堂に勤務している時、重い心臓病を患いました。
医者にも「藤巻さん、あなたこのままだと5年で亡くなるよ」と言われ、即入院となりました。
本当にショックでしたが、その日の夜に、生涯最後の食い納めと思い、焼肉10人前をたらふく食べました。
だって、落ち込んでいても何もかわらないじゃないですか。
やっぱりあの頃は忙しかったのもありますが、イライラすることが多かったんです。
一緒に働く人に対して大声で怒鳴ったこともありました。
でも、それって人のせいにしているということですよね。
全て自分に責任があると思えば、怒れなくなりました。
体を壊したらからこそ、わかったことです。
私は人生で友達が一番大切だと思っています。
仲間を作るには、妙なプライドを持たず、どんなに恥ずかしくても、年上でも年下でも構わず、わからないことはわからないと正直に話すことだと思います。
何か悩んだ時は、自分と向き合うようにしています。
自分の問題は、自分でしか解決できないですしね。
もし何か失敗しても、笑い飛ばせば良いじゃないですか。
人生でネタが一つでもできたと思えば、儲けものですよ。
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