ミュージシャンとして30年間活動を続け、その才能はとどまることを知らず、舞台音楽の世界でも花開いた。
松尾スズキ氏主宰の大人計画で音楽監督を務め、巨匠 蜷川幸雄氏の舞台『道元の冒険』で、舞台楽曲を作曲した。
更に、故十八代目中村勘三郎氏をはじめとする多数の花形役者が出演するコクーン歌舞伎の舞台音楽の作曲も手がけた。
彼が楽曲制作において大切にしていることとは?
さあ・・・メトロファルスリーダー伊藤ヨタロウ様の登場です!
「縁」
私はかれこれ30年間ミュージシャンとして活動していますが、
「音楽で絶対成功してやろう!」とはあまり考えたことがありません。
自分の音楽を聞いてくれるファンがいる。
ただその事を大事にして活動してきました。
でも、今思い返すと、メジャーデビューしたことも、舞台音楽に関わることになったのも、人とのご縁に恵まれていたのだと思います。
舞台に関わったのは、当時まだ売れる前の松尾スズキさんや宮藤官九郎さんがいた大人計画のメンバーと仲が良く、舞台の曲を書いてみないかと誘われたことがきっかけでした。
元々演劇も好きでそれまでもたびたび観に行ってはいたのですが、実際に自分が音楽監督になってみると、頭ではどうすべきかわかっているのですが、身体がついていきません。
出演者に対しての指示の出し方などの勝手がわからないんです。
最初のうちは、リズムや呼吸が合わず、苦労しましたが、出演者やスタッフと打ち解けると徐々に呼吸も合ってきました。
舞台の初日、自分が作った曲を役者が歌ってくれて、一つの演劇が作り上げられる。
それを見ていて舞台って楽しいなと思いました。
今までで一番大きな失敗は、歌舞伎とロック音楽を融合した舞台の音楽監督をやることになった時、メインの歌舞伎役者さんを激怒させてしまったことですね。
舞台監督や演出家の方とともに演出を考える中で、舞台稽古中にメインの歌舞伎役者さんに注文をつけたんです。
すると、ピリっとした空気が張り詰め、後で楽屋を訪ねると、
「私は今までこんな口惜しい思いをしたことがない」と大激怒されていたんですね。
おそらく私の不用意なひと言が、彼のプライドを傷つけてしまった。
とんでもない事をしてしまったと若いお弟子さん達に相談すると、「大丈夫ですよ」と皆でフォローしてくれました。
初日が明けて、その夜に
「喧嘩は終わり。仲直りだ」と言ってもらい、一件落着となりました。
「そうか、喧嘩だったのか…」とホッとするやら苦笑いするやらでした。
周りの方の助けがあったからこそ無事に舞台を終えることが出来たので、感謝しています。
私は、作品作りに関わる上で、“粋”を常に意識しています。
上品になりすぎても、下品になりすぎても、面白味が無い。
そのギリギリのラインを綱渡りする感じです。
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