11歳でピアノを始め、全く誰からも指導を受けることなく独学で腕を磨き続け、ニューヨークの名門ジャズレーベル“ブルーノート・レコード”に、ジャズの帝王マイルス・デイビスの記録を塗り替えて最年少でのリーダー録音記録を17歳という若さで樹立。
その後、作曲・演奏をした“報道ステーション”のテーマ曲で一躍注目を集め、“スーパーニュース”、“新報道2001”、SECOMやNTT Docomoなど、数々のテレビ番組やCMのテーマ曲の作曲・演奏を手がけた。
他にも世界で活躍する有名ダンサーと共演したり、オーケストラ曲を作曲したりと、常に新しいことにチャレンジし自身の活動の幅を広げている。
さあ・・・ピアニスト・作曲家 松永貴志様の登場です!
「常に上のレベルを目指す」
ピアノを始めたのは、11歳の時。
独学だったので指の運び方なんかはわからなかったのですが、弾きたいように自由に練習していたらやっているうちにピアノって凄く面白いんだと思いました。
13歳になった頃に、ジャズピアニスト ハンク・ジョーンズさんのピアノクリニックの企画に参加して、自分がバーっとピアノを弾いたら、「アウトスタンディング!」って褒められたんですよ。
これがきっかけになり関西で注目を受け、2000人規模のジャズフェスティバルで1曲弾かせてもらうようになりました。
自分でも演奏する機会を作るために、関西のライブハウスを1件、1件お願いして回りました。
断れることもしょっちゅうでした。
でも、人前で演奏するのと一人で家で練習するのでは、全く成長の度合いが違うんですよね。
だから、実践の場を数多く経験するようにしてきました。
高校1年生でプロデビューをしたのをきっかけに、学校を中退してピアノだけに専念することにしました。
仕事も当時は少なくて年間にライブが10本程だったので、ひたすらピアノの練習に集中しました。
この期間にできるだけ他の人と差をつけて、引き離しておこうとしたんですね。
学校も辞めているし、とにかく上のレベルを目指していました。
メインキャスターが久米さんから古舘さんにガラッと代わるタイミングで、“報道ステーション”のオープニングの作曲の話をいただきました。
多くの日本国民が見る番組なので、広く受け入れられるジャズのテイストを取り入れたオープンなスタイルで、一度耳にしたらチャンネルを変えられないように、不協和音の中にもメロディーラインを綺麗にすることを狙って作りました。
この曲が評判になって、他のテレビ番組やコマーシャルの作曲のお話をいただきました。
ピアノを始めた時から、どんなに上手いピアニストでも、全員が全員ピアノの全てを完璧に弾けるわけじゃないと思っていました。
性格にも人によって偏りがあるように、人間デコボコがあるじゃないですか。
マイナス面もプラス面も追求していけば、それが自分の個性になると思っていました。
だから、自分が弾けない部分を改善するより自分の弾きたいフレーズに感情をこめて人に伝えることができるように、精神性を高めていくことに力を注いでいました。
ただ上手く弾けるピアニストではなく、個性的で人を感動させることができるピアニストでいたいと思います。
そのためにも、他の人がやっていないことをこれからも追求していきます。
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