ピンクの衣装にパーマヘアー。
芸能界屈指の記憶力の持ち主で、数多くの有名人の生年月日を完璧に記憶している本日のスゴい人。
ここまでの情報でどなたかわかる方も多いだろう。
1964年に林家三平に弟子入りし、現在芸能生活51年。
寄席への出演の傍ら、
「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」
「ものまね王座決定戦」など、数々のテレビ番組でも活躍。
さあ・・・タレント 林家ペー様の登場です!
「余談漫談」
私が弟子入りしたのは東京オリンピックの5日目でした。
6年間師匠の付き人をして、本当にかわいがっていただきました。
当時は毎日最終電車で帰っていて、眠くて電車を乗り過ごしては星空の下を線路伝いに歩いて家まで戻っていましたね。
最終電車を逃した時には公衆電話のボックスの中で寝ていたこともありました。
仕事の無い時期もありましたが、食べる物に困ったという事もありませんでしたし私は能天気な性格ですのであまり辛いと思うことが無いのです。
私は、パー子にすごく感謝しているんです。
彼女のお母さんが私の事を気に入ってくれて、「お母さんが選んだ人なら」と彼女は生活の保証も無かった私との結婚を決めました。
ピンク色の服も、彼女は昔からずっとピンクが好きだったのですが、私は、結婚するまでは地味な紺のスーツなどを着ていました。
「元気が出るテレビ」でテリーさんから派手で目立つ方が良いと言われたことと、結婚後、夫婦でテレビ出演をする機会が増えたので、彼女と合わせようと思って二人そろってピンクの服を着るようになりました。
今ではピンクは体の一部とも言えるくらい、自分にとって重要な色になっています。
私の人生の恩人は、師匠・林家三平、ビートたけしさんと、テリー伊藤さんです。
今日の私があるのは皆さんのおかげです。
誕生日を覚えるのは、最初は自分の事を覚えてもらおうと思って始めたことでした。
例えば「今日は1月18日だから、ビートたけしさんの誕生日ですね」と言うと、偶然寄席を見に来て私の話を聞いてくれた人がテレビでたけしさんを見た時などにふと思い出してくれるかもしれない。
そんな気持ちで始めた事でした。
たまたまそれを高田先生が面白いと言ってくださって、芸能人の家族など一部の人にしかわからないマニアックな人と同じ誕生日の有名人や歴史上の人物を言うのが仲間内でうけて、色々な人の誕生日を覚えるようになりました。
スター名鑑を片っ端から覚え、アナウンサーやテレビ局のスタッフさんまで一生懸命覚えましたね。
今も、朝起きるとその日誕生日の人を思い出すことが日課になっています。
今は、落語を覚えようと一生懸命練習しています。
昔あれほど近くで毎日見ていたのに、自分で覚えて話すのがこれほど難しいとは思いませんでした。
芸能生活50年を越えてもまだまだこれからも頑張り続けます。
◆林家ペー・パー子オフィシャルサイト
http://8848pp.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。
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