“フィニッシングスクール”
それは自分を磨く学校、おとなのための学びの場であり、自分の生き方、自分らしさを見つめ直して、知性、感性、品性、教養を磨き、美しく歳を重ねるために自分を磨く学校である。
本日登場するスゴい人は、1986年より日本初のフィニッシングスクールの初代校長を務め、1992年に独立し教室を開設。
今日まで29年の実績と23年の歴史を持つ正統派のフィニッシングスクールを運営している。
さあ…
丹生谷真美のフィニッシング・サロン
丹生谷真美様の登場です!
「自分にしかできない事」
若い頃は勢いとエネルギーばかりがあふれていて、30代前半まで、それをどの方向に向ければいいのか分からずに、自分を持て余していました。
二か国語で生活をしていたので、娘にもそうなってほしくてインターナショナルスクールに入れて、私も6年間その学校で校長の補佐を務めました。
当時スクールで契約して施設を使わせていただいていたこどもの城に、天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)が視察に見えることになり、私も立ち合いました。
皇后陛下がお声をかけてくださった時、ほんの数語いただいただけだったのですが、「言葉ってこんな風に人の心の真ん中にまっすぐ届くこともできるんだ」と衝撃を受けました。
当たり前に日本語を話しているのに、初めての経験でした。
私も美智子様と同じように、言葉を相手の心にまっすぐ届けられる人になりたい、と強く思ったのです。
戦後の西洋志向の日本社会の中で、日本のことをよく知りもしない自分に何の疑問も持たずに生きてきましたが、外国人のご父兄や職員に日本のことを聞かれても、きちんと答えられない経験が幾度かありました。
外国の方と対等に話ができても、日本についてきちんと知らない、日本人として欠けている自分に初めて気づき、もっと日本のことを知りたいと、貪欲なくらいに学びましたね。
インターナショナルスクールを退職後、「アメリカのフィニッシングスクールをフランチャイズで日本に持って来るから校長をしてみないか」と声をかけて頂き、教育は得意分野かもしれないという自覚もあって、企画段階から携わらせていただきました。
そこにいた6年間で日本人に必要な教育、目指すべき理想が自分なりに見えてきて、1992年に、日本の風土や伝統に根ざした日本人のためのフィニッシングスクールを作りたいと独立しました。
それ以来、自宅のマンションで、自分一人でささやかな教室をかれこれ20年以上続けてきました。
いらしてくださる方が「先生と出会えてよかった」「学んだことで、ものの見方や暮らしが変わった」とおっしゃってくださるのが私の生きがいとなっています。
前向きな性格なので、辛いことがあってもめげたりくじけたりはしません。
試練が次々と目の前に現れるから人生はより楽しい。越えなければならない壁もないような人生なんて退屈なのではないでしょうか
退屈は、時間やエネルギーや経済を浪費させてしまうもの。
人生は限られた時間だからこそ、自分にできること、自分にしかできないことを精いっぱいしていたいと思います。
困難に直面した時には、退屈する暇がないことは、退屈よりはるかに幸せなことだと考えてみてください。
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