本日登場するスゴい人は、自動車評論家・環境ジャーナリストとして世界を舞台に活躍するスゴい人!
彼女は大学院で工学を修め、大学院卒業後はデザイン・エンジニアとして就職。
その後、『カーグラフィック』や『NAVI』などの自動車雑誌を出版する二玄社に入社し、記者としての活動を始める。
現在はフリーランスのジャーナリストとして自動車と環境のテーマを中心に、自動車専門誌に加え、自動車技術誌、ライフスタイル誌、経済誌など、幅広い分野に寄稿。
2010年からは日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務めており、2015年からインターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤーの選考員にも選任された。
内閣府、内閣官房、国土交通省、環境省、警察庁など国の委員も歴任している。
さあ…
ジャーナリスト
川端由美様の登場です!
「ハードルを越える」
私は栃木県の出身ですが、クルマで通える距離にスバルの本拠地があり、「クルマを作る」ことを身近に感じる環境でした。
また、母が無類の車好きで、幼い頃に自動車を見て「あれは何?」と聞くと、「車」ではなく、「ニーヨンマルのゼット」「ダルマのセリカ」などと細かく教えてくれたので、自然と興味を持ち、クルマ好きに育っていきました。
自動車を作るために工学部に進み、大学院まで出ましたが、卒業の頃にバブルが崩壊。
自動車に関わる仕事に就いてずっと地元にいたいと思っていましたが、当時は女性で修士号を修めてしまうと地元では採用されないとわかって、地元を出ることを決意し、大阪の大企業にデザイン・エンジニアとして入社しました。
その頃から、世界に通用することや、その業界で「一番スゴい」ことをしたいと思っていました。
一生懸命働いて3年が過ぎた頃、友人から「自動車雑誌の試験を受けるから一緒に受けよう」と誘われて一緒に受けてみると、たった3人の採用枠に受かったのです。
自動車は好きですが、雑誌の世界はもちろん未経験。
しかし、どうせなら世界一を狙える所で挑戦したいという想いもあり、世界に通用する自動車雑誌を作る出版社に飛び込み、それから7年間勤めました。
『NAVI』の記者からスタートし、当時の編集長だった鈴木正文さん(現在は、『GQ Japan』編集長)に鍛えられました。
最初の頃は、原稿を書いても何度も赤が入って戻ってきて書き直しをしていました。
そのうちに「今月号に間に合わなければ来月でも良い」と言われるのですが、同じイベントを他の雑誌でも取材していて、自分だけ掲載が1か月遅れになってしまうのはとても悔しかったですね。
姉妹誌『カーグラフィック』に移動した後は当時の編集長だった加藤哲也さん(現在は、株式会社カーグラフィック・代表取締役)、フリーランスになった頃に『カーグラフィック』の編集長をされていた塚原久さん(現在は、ポルシェ・ジャパン勤務)にも鍛えられました。
でも、その時に鍛えて頂いたから今があるし、今こうしてフリーランスとして仕事ができるのだと思います。
専門的な技術の取材からフェラーリやアストンマーティンの試乗会までこなせるようになり、海外のメディアに寄稿できるようになったのは、先輩たちが右も左もわからない新人を鍛えてくださったおかげです。
世の中にはたくさんの課題があるのに、自分の課題だと気づかずに見過ごしてしまっている人が多いように思います。
日本は平和なので、漫然と生きることもできて、嫌だと思う事をやり過ごせてしまうんですよね。
私は子どもの頃から、いじめにあって学校に行くのが嫌だったり、顔を洗う水が冷たいのも嫌だったり、嫌なことが多かったので、それをどうやって解決するかを常に考えていました。課題を見つけると、次に乗り越える方法を考えるタイプなんですね。
最初は「地元を出る」という小さなハードルでした。
その後も、周りの人が課題を与えてくれると、その期待に応えたくて一生懸命頑張ってクリアし、ハードルが少しずつ高くなり、今に至っているのだと思います。
嫌なことに対して文句を言うよりも、その時間を問題解決に充てることをお勧めします。
たくさんの人に期待されて、課題を与えられたからこそ今の私があります。
今後は、内閣府や国土交通省を始めとする有識者委員などを通じて、少しでも周囲の役に立ちたいと思っています。
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