本日登場するスゴい人は、名だたる建築家たちが一目を置く建築家のスゴい人!
美術や歴史の成績は抜群でも英語は大の苦手だったという彼は、武蔵工業大学(現 東京都市大学)で才能を開花させ、アメリカ・ペンシルべニア大学に留学。
同大学でシャンク賞(ペンシルベニア大学修士設計第1位)を受賞するなど、海外で才能に磨きをかけた。
32歳にして日本で現事務所を設立。
以来、「形」ありきの建築ではない、一つとして同じ形のものはないユニークな建物を生み出し続けている。
彼が生み出す空間は一見奇抜に見えて、その実、恐ろしく見事に計算されつくされた空間なのである。
「僕は変なものを『真面目に』考えつづけてきた」と語る彼の考えとは。
さあ…
株式会社新居千秋都市建築設計 代表取締役
東京都市大学 教授
ペンシルベニア大学 客員教授
新居千秋様の登場です!
「諦めない」
小学校に入る頃から建築家になりたいと思い始め、親戚に優秀な者が多い中で挫折感を感じつつ、武蔵工業大学付属高校に進学しました。
ここが「偉人」だらけで(笑)
付属にいた遊び人の皆さんは何事にも徹するので、結果、頭も良い。しかも互いに干渉しない。
個で生き抜く力はここで付きましたね。
その後武蔵工業大学建築学科に進んだら、成績では敵はいないし、コンペは常勝だし、少し天狗になっていたかもしれませんね。
コンペと言えば、今まで72の建物を建てておりますが、そのうち32がコンペです。
昨今のコンペでは10年間の実績で審査するため、それ以前の作品は評価されないのは非常に残念ですね。
話を戻しますが、そういう訳で成績が良かったため、22歳で会社の出向でペンシルベニア大学に留学することになりました。
英語ができない分、建築の勉強に没頭していたら僕のことを天才と思ってくださる人もいまして、「シャンク賞」(ペンシルベニア大学修士設計第1位)を受賞しました。
ここで師であるルイス・カーン始め色々な著名建築家と出会えたのは、今も財産です。
その後ロンドンに移り、テームズミード都市計画特別局で役所勤めをしました。
英国建築協会付属建築学校で講師もしまして、その時の若い講師や学生、例えばレム・コールハースやザハ・ハディドは、今世界で活躍している建築家に成長しています。
僕の建築はいずれの建築も形が違います。
そして地域の皆を巻き込むワークショップで建物を造りあげます。
形有りきで設計するのではなく、語りながら形を作る。
「面白い」「変」なものは楽しいでしょ?そういう建物には自然と人も集まります。
例えば僕がリニューアルデザインを手がけた横浜赤レンガ倉庫は、年間600万人の方が来場しています。
建築では備品や施設内に入る店舗にも気を配りますが、こうした目線も先生方との出会いから学びました。
全ては「人の出会い」です。それに恵まれたから今の僕がある。
僕は変なもの、近代の量産型建築ではないものを作ろうとひたすら真面目に考え続けてきました。
その僕に建築を任せてくれるような方々とのご縁があったのです。
最後に若い方々へ。
僕は学生に「60歳まで我慢しろ」と話しています。
諦めない人は本当に勉強をしますから、知が深い人が多いものです。
続ければ必ずその世界で生き残れます。
諦めてはいけませんよ。
◆株式会社新居千秋都市建築設計
http://www.chiaki-arai.com/