「Gメン75」
1975年から1982年まで続いた、言わずと知れた刑事物テレビドラマの名シリーズである。
本日は、この作品でメインキャストのひとり「響圭子」役を務めたスゴい人が登場する。
役者という夢を見出し、さまざまなつてを頼りながら、自らの手でその夢をかなえた彼女。
しかしその後、思わぬ試練が降りかかる。
試練を経て、彼女が見つけ出したものとは。
さあ…
女優
藤田三保子様の登場です!
「あきらめないぞ」
母は、元新派の女優でした。
その当時の母を写した白黒写真を見て、まだ10歳かそこらの子どもに過ぎなかった私の中にも母の血が流れていることを感じました。
女優として芽が出そうな頃に結婚したからか、母はその後もなお芝居の道に未練がある様子で、その姿を見ていたため、中学生になる頃には私も女優になろうと決めていました。
決して余裕のある暮らし向きではなかった母に楽をさせてあげたいという動機も含まれていました。
しかし中学校はもとより、当時地元・山口県で一番といわれた防府高校にも演劇部がないことに驚きました。
そこで思案の末、母の乳兄弟を訪ねて相談したり、担任にも相談したりして、女優になることに反対している母の説得に加担してもらいました。
僅かな理解者でしたが、結果的に力強い「味方」となりました。
その後、劇団「文学座」を経てNHKの「鳩子の海」のオーディションに合格し、本格的に女優として歩み始めました。
デビュー前にはある画家の自宅に下宿させてもらっており、劇団の授業料もご負担いただいておりましたので、無事にデビューした後、「出世払いでいい」と言ってくださったこの恩人に毎月1万円ずつお返ししました。
ありきたりなようですが、人との出会いは本当に大事だな、と今なお思います。
代表作となった「Gメン75」の後、麻疹にかかり、次いで尿タンパクが検出されました。
診断の結果、ストレスによるネフローゼ症候群と判断され、3ヶ月間入院をしました。
この間、医者からは「何もしないように」と言われており、できるだけストレスを溜めないような生活を心がけていたのですが、病気とはいえ何もできないのは精神的にも辛いことです。
そこで思ったのが、「自分が“何かできないか”を探すこと」でした。
そうした目で見るようになると、それまで知らなかった分野にも関心がいくようになります。
絵画や日舞、また今につながるシャンソンなどもこれをきっかけに始めました。
山口には昔から「進取の気性」という言葉が伝えられています。
私も子どもの頃からよくこの言葉を聞いていました。
昨日の自分より少しでも前に出るつもりで、何かできることはないか、よくなることはないか、日々挑戦し続けております。
「グロリア」という映画があります。
マフィアの会計士であったグロリアの友人一家が惨殺されるのですが、その直前に末っ子の男の子と「帳簿」を託されてしまいます。
生意気な男の子とグロリアの逃避行が始まるのですが、肝の据わったグロリアの対マフィア、対男の子の対処の仕方がユニークで魅力的です。
この役を舞台で演じたい、というのが現在の目標です。
◆藤田三保子 公式サイト
http://fujitamihoko.jimdo.com/