東京、人形町で1895年から続く老舗すき焼店 人形町今半。
本日登場のスゴい人が社長に就任したのは2001年。
就任の僅か3ヶ月後、BSE(牛海綿状脳症)が流行し、牛肉を扱う企業や飲食店などに大きな影響を与え、
深刻な社会問題となった。
東京ではその地位を不動のものとした名店今半でさえも、その影響からは逃れることが出来ず、一時は倒産も覚悟したという。
彼は、どのようにして倒産の危機から会社を救ったのだろうか?
さあ・・・株式会社人形町今半 代表取締役社長 高岡慎一郎様の登場です!
「いつも前向きでポジティブに」
学生時代、正直言いまして勉強は苦手でした。
しかし、積極的に手を上げて発言する事は好きでした。
その積極性からか、大学時代は、関東学生アーチェリー連盟の委員長に選ばれ学連生活を過ごしました。
委員長になった時に、父が本当に喜んでくれたのに驚いた記憶があります。
学校を卒業して3年半ほどコンピューターの会社で営業職として働きました。
その時の考え方が今の人形町今半の経営理念に活かされ、気難しいシステムエンジニアとの関係を学んだ事が、人形町今半の職人との関係構築に本当に役に立ちました。
自分で物を売る楽しさを知り、本当に楽しいサラリーマン生活でした。
2001年の6月に人形町今半の社長に就任しましたが、9月にBSEの報道が流れて10月には誰も牛肉を食べなくなりました。
最初は2週間くらいで客足も戻ると思っていましたが、毎週10%ずつ売り上げは落ちていき、1ヵ月後には50%ダウンになりました。
もう潰れるしかないと思いました。
父と会社の今後について偉い先生に相談に行きましたら、「おたくは倒産しません」と言われて、ほっとしました。
手形を使っていないので倒産しないと言われただけですが(笑)
でも人間とは不思議なもので、帰りには何故か気持ちがルンルンしていました。
ものは考えようですね。
当時テレビは、誰も牛肉を食べたくなくなるようなひどい報道が連日行われていました。
店に行くと、客席の半分ほどしかお客さまがいらっしゃいません。
でも、あることに気がつきました。
あんな報道が連日あるのに、まだ半分もお客様がいらしている!と。
お肉が大好きな人形町今半ファンがいらっしゃっているじゃないか。
人形町今半のファンであるお客様が喜ぶことをどんどん実施しよう、と心底思いました。
来てくださっている大切なお客さまに感謝してこの方々に喜んで頂くためだけに
世間で嫌われている牛肉に徹底的に力をいれたら、どんどんお客さまが戻ってきてくださり、半年後には、お店がお客様でいっぱいになりました。
嬉しかったです。
今、外食産業は海外進出ブームで、魅力的です。
でも、震災後に私の考え方が変わりました。
当時、沢山の外国の方が自国に戻られ、日本人でさえ海外に行かれてしまった方もおられます。
そんな方々を、我々のパワーで日本に呼び戻したい。
日本に来て人形町今半に食べに行きたいと言って頂ける店にしたい。
これからも、人形町今半の味を守り、伝え、進化させ、人形町今半に行くために海外から日本に人が来てもらえる、そんな店を作りたいです。
タグ:ビジネス・経営者