築地銀だこブランドをゼロから作り上げたスゴい人!
たこ焼で大成功を収めているチェーンがある。
製造工程を見せる実演販売にこだわり、厨房をガラス張りし、数あるたこの中から、たこ焼に一番合う“真だこ”を選ぶなどすべての食材にもとことんこだわり大ヒット。
屋台の味から本物の味へ。
今では日本全国300ヶ所以上だけでなく、海外でも人気の味となる。
このたこ焼の原点はある男のめざした“ホッとする”瞬間。
この男のたこ焼人生はハンパではない。
あきらめなければ必ずチャンスはやってくる。夢は叶う!
さあ、佐瀬守男様の登場です。
「日本のファストフードを世界に」
小さい頃から人が喜ぶ顔を見るのが大好きだった。
繊維産業の街で育ち3時になると、真っ黒な顔をした職人が手を休め、おばさんたちが作る焼きそばを食べて、ホッとした表情でくつろぐ喜びの瞬間を見ていた。 この光景が印象深くて。
23歳、私はホットランド焼きそばという小さな店を出した。 株式会社ホットランドの原点。
その後私は、何度も挑戦と失敗を繰り返す。お客様のニーズに応えているうちに何がなんだかわからなくなってしまって。
私はひとつの決断をした。“たこ焼”だ。手軽に小バラを満たしてホッとさせてくれる“ たこ焼”に社の命運を賭すことに決断をした私は、日本中のたこ焼を食べ歩いた。
様々な出会いの中たこのいろはを教えてくれた築地の魚河岸の社長への感謝、その感謝の気持ちから、お店は築地の活気に負けないくらい元気のあるお店にしたい…そして、いつかは銀座にお店を構えたい!!という思いと願いをこめて屋号を“築地銀だこ”と名つけた。
満を持して、ようやく、とある大型店への出店が期間限定で叶った。
全てを賭けていた。毎朝8時から1,000台分の駐車場を掃除し、開店時間を迎えた。
めちゃくちゃ売れた。人生初の大成功、やっと夢が叶う!
ところが最終日に、現場から涙の電話が。
ボヤで店を燃やしてしまったという。? 奈落の底だ。? 店舗に着くと、はしご車6台。 スプリンクラーでびしょびしょの中、泣きながら片づけをする社員と私。
もう人生は終わったと思い、支配人に詫びるとなんと、「防犯設備を万全に整えて、やり直しましょう」の一言。人目もはばからず大泣き。彼は、私達の人生を掛けた戦いを見てくれていた。
当時の社員5人は、その後も共に戦い今も残っています。
焼きそば屋時代から、私は、お客さんが喜んでいる姿を思い浮かべると、幸せで幸せでしょうがない。
この喜びをパワーに、日本の良いところを世界中に伝えていける店作りをしたい。
日本人のまごころ、繊細なサービス、和食ファストフードを世界中に!
2010-10-12
取材:編集部
タグ:ビジネス・経営者
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