日本人の曖昧な笑顔や態度、韓国人のストレートな態度、日韓の文化ギャップは今日でも存在する。いち早くそかのギャップを指摘し、多くの著書や、講演活動を通じて文化融合の活動をし続けているスゴい人が本日登場する。
著書は40冊以上にものぼり、講演は年間100回以上、現在では、大学の教授まで務めている。日本全国から求められる反面、母国韓国においては非難され続けてきた。
虫のように扱われ、殺すと脅されたこともあった。日本には家族もおらず、何度も心が折れそうになった。
彼女が困難な状況を乗り越えることができた理由とは?
さあ・・・拓殖大学教授日本評論家、呉善花様の登場です!
「周りの方々に生かされているから、生きていける」
東京外国語大学留学中に、アルバイトや研究室などでの日々のやりとりから日本人と韓国人の大きな違いに違和感を覚えました。
例えば、友人関係となった間柄においてものを借りたいと思った時、韓国人は、「友人の間柄で断りを入れることは水くさい」と、黙って借りて返すのに対して、日本人は、友人であろうと必ず許可や確認をとって借りる。
こういった違いから、ひいては文化問題へと繋がっているのだと思いました。
「日本にいる韓国人の私がやらずに、誰がやる。」そう思い、考えを提唱すべく、日本で働く韓国人ホステスの生活を描いたエッセイ『スカートの風』を出版し、瞬く間に日本中に知れ渡った。この時私はまだ、留学生でした。同時に、母国韓国からはバッシングを受けました。「自分が韓国人なのに何を言うか」と。
本が売れ、更なる執筆の依頼、講演の依頼が増えれば増えるほど、バッシングが強くなっていきました。
時にはバッシングがエスカレートして、活動が続けられない時もありました。あの頃はもはや、神経がおかしくなっていました。
家族も留学仲間も周りにはいません。
けれど、それを乗り越えられたのは、全国からの温かい応援のおかげでした。励ましの手紙を数多く頂きました。私は生かされている。私がやらなくて、誰がやる。そう、思いました。
心の平穏と健康を保つため、緑の多い場所に住居を移し、中傷する人たちからも出来るだけ離れるようにしました。
住居には日本の美しい茶室や仏壇・神棚もあり、どんなに忙しい毎日の中にでも心の平穏を取り戻せる時間と空間をつくりました。
日本人の自殺者数は近年非常に多くなっています。日本人の命は美しく、尊いものです。世界から見て、日本人が失われることは大きな損失なのです。
私たちは生かされており、そのためもっと世界に貢献しなくてはいけないのです。「呉善花によって、日本人は救われた。」と言っていただくために、自分の役割を全うするのです。