17歳の頃から本格的に音楽の道を目指し、コンテストを受け続ける中で成長を続け、21歳の頃に念願のデビュー。
デビュー曲「迷い道」が累計で80万枚を売り上げ、第29回NHK紅白歌合戦に初出場。
続く「かもめが翔んだ日」では第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、華々しいスタートを飾った。
彼女は根っからのミュージシャン気質で、自身の音楽を模索し続けた。
自分の声や個性に、どんなメロディや、どんな曲調・歌詞を選ぶかということは、シンガーソングライターにとって一番大切だと彼女は言う。
そのパワフルな歌声と朗らかな人柄で、ファンの輪は今もなお拡大を続けている。
さあ・・・シンガーソングライター渡辺真知子様の登場です!
「自分の好き!が伝わるということ」
音楽好きな父と兄の影響もあり、幼少期から歌もピアノも続けてきた。
特に兄の影響は大きく、兄がギターを弾いている横にくっついてはギターの音に合わせて歌っていた。
17歳のとき、本格的に自分も音楽の道を目指そうと思った。
コンテストに応募するための楽曲を既成の作家に作ってもらえないので、自分で作って歌うしかなかった。
横須賀から、横浜、そして東京から関東とたくさんのコンテストに出場し、大会の規模やレベルが徐々に上がっていくにつれ、自分の成長を感じていた。
コンテストを受ける中で周りから太鼓判を押して頂き、満を持して、デビューのきっかけを掴んだ。
デビューの際、「迷い道」のB面の曲がA面になるはずだった。
今考えればよく言えたと思うが、大御所のプロデューサーに、「このままの曲では納得いかないので、待ってください」と、お願いした。
プロデューサーも想いを買って待ってくれたが、結果、デビュー曲は数え切れないほどの推敲が重なった。
こうしてできたデビュー曲「迷い道」は累計で80万枚を売り上げ、『第29回NHK紅白歌合戦』に出場が決まり、続く「かもめが飛んだ日」では、第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。
ただ、スタートが順調だっただけに、その後に出す曲がどうしてもシビアな目で評価されてしまうのも事実だった。
3?4年先まで埋まっているスケジュールも相まって、それまでの断捨離と充電をするため30歳のころアリゾナに渡った。
自分の作品作りはいつも自然からインスピレーションを受けていたし、生まれ育った海辺の町横須賀とは逆の、海のない地ということでこの場所を選んだ。
40代?50代にかけて、今では本当に自分の等身大の音楽になっていると思う。
最近では、私のもつ生きるパワーそのものを音楽の中でもっとも伝えることができる、ラテンジャズのアルバムも出すことができた。
自分自身が心から“大好き!気持ちいい!”と感じることを追究していれば、それが自然と人に伝わっていい影響を与える。
私は、ミュージシャンであり、いつも音楽のある生活をしていたい。
“自分の音楽”を表現していくために、昨年から自分でレーベルを立ち上げての活動もしている。
これまで歌ってきたオリジナルやカバー曲をようやく形にして今までにない充実した時間を送っている。
だから、若い人にも自分が好きだと思うものを追い続けてほしい。