コンサルティング会社船井総合研究所を東証一部に上場させた本日登場のスゴい人!
家業であったディスカウントストア店に入社。
2億7千万円であった年商を9年目には60億円以上にまで拡大させた。
多店舗展開しようとした時に父親から「待った」がかかり、退社することになる。
その後入社した日本マーケティングセンター(現船井総合研究所)では、年間3千万円の売り上げでも凄いと言われる中、わずか4年で2億円以上売り上げる突出したコンサルタントとなった。
その後社長に昇格後は、6年で実績・業績を2倍にし、社員、株主を幸せにするグレートカンパニーにするという方針を打ち出し、会社を改革した。
その結果、株価は7倍以上になり、日本のボーナス支給ランキングでもトヨタや銀行などを抜き日本のトップに躍り出た。
さあ・・・株式会社風土 代表取締役会長CEO 小山政彦様の登場です!
「約束は命がけで守る」
早稲田大学大学院の2年生の時に、実家のディスカウントストアが火事で全焼したんです。
それで、父から家業を手伝ってくれと頼まれて、入社しました。
当時はまだアメリカにもディスカウントストアができ始めたばかりで、日本では珍しかったと思います。
まずは社員を集めて、20年で売上高2000億円の店に成長させると打ち出しました。
当時の年商が2億7千万程度でしたので無謀に思えますよね。
でも、社員一丸となって店舗も増やして順調に売り上げは推移し、60億円以上の売上まできました。
それで、3店舗目を出店しようとした時に、父親から
「2店舗で十分じゃないか?もしこれ以上店を広げるなら、裸一貫で勝負してみろ」
と言われたのです。
もともと職人だった父は、店を拡大していくということに消極的だったのです。
店を辞めて自分で商売をすることを決めました。
知人から、まずはいろいろな企業の社長と接することのできる経営コンサルティングの会社に勤めてはどうか?とアドバイスをもらい、日本マーケティングセンター(現船井総合研究所)を紹介してもらって入社しました。
入社が決まった日から、船井幸雄さんの本を月に20冊は読み込みました。
そして、優秀な先輩の仕事の仕方をすべて真似しましたね。
私は仕事を休むのは60歳になってからと決めていましたので、土日も休まず毎日働いていました。
当時は年間15日くらいしか休んでなかったと思います。
サラリーマン根性みたいなものが無かったのですね。
そうして働いているうちに売り上げも役職もどんどん上がっていって、入社12年で社長になりました。
社長になった時には、船井総研は自分の会社ではないので、この会社を株主、社員、お客様を幸せにする装置にしようと決めました。
売り上げを上げたら社員にも株主にも還元するということを徹底しました。
予想利益より超えた利益についてはすべて社員に還元していました。
そうすれば、自分たちの努力が実ったと社員は実感してくれますからね。
会社にとって最も大事な財産は優秀な社員なので、彼らがイキイキと働く環境を作るのが大切です。
だから、私は公言したことは、命がけで守りました。
これが経営をしていく上で大切なことですね。
社員が懸命に働いてくれたので、結果的に東証一部にも上場することができました。
今は船井総研を退職し、新たな夢のために風土という会社を立ち上げました。
その第一弾が、既に世界に出始めているアーティスト・小松美羽です。
今、世界が必要としている日本の文化を世界に発信して【和】の文化を広めていきたいと思っております。
◆株式会社風土
http://www.fudo-japan.co.jp/company.html
※一部携帯では見られない可能性があります。
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