音楽業界の中で「この人が認めたら売れる」と言われている音楽評論家が、本日登場するスゴい人。
彼女は井上陽水さんと6年契約し、売上枚数を7万枚から150万枚まで伸ばした。
RCサクセションには、まだほとんどファンがついていない頃から、全国が熱狂するまでの道のりを作る。
更には福山雅治さんがまだ20歳で誰もが見向きもしない頃から「絶対にこの顔は売れる」とプロデュースしていった。
小室哲哉さんとYOSHIKIさんを紹介したり、忌野清志郎さんと坂本龍一さんを紹介したり。
他にも数々のアーティストを、音楽評論家という立場を超えあらゆる人脈と本人のセンスでスター街道へ誘って来た。
ある人は彼女をプロデューサーと呼び、またある人は彼女をフィクサーとも呼ぶ。
さあ…
音楽評論家
吉見佑子様の登場です!
「好奇心しか」
母子家庭に育ったせいか、とにかく早く自立したかったんだよね。
わかりやすく芸能界を目指した。
オーディションを受けまくり、数本レギュラーも持ったの。
ただ、当時の関西ではお笑いは必須な雰囲気があり私は苦手だったから、東京に拠点を移し、深夜バスで大阪に行って仕事をして、休みの日は東京で売り込み。
オールナイトニッポンに受かり、NHK「若いこだま」という番組のパーソナリティにも合格。
フォークソングを担当することになり、吉田拓郎さんなど同年代の知り合いが沢山できて、私もデビューしないかと声がかかった。でも、全く売れず。
帰りのバスで自分のポスターを抱えながら、「きっと私のように才能があっても売れない人がいるはず。そういう人のサポートをしていこう」と思って、出逢ったのが忌野清志郎さん。
井上陽水さんの取材で前座にRCが出ていて。
その時、「帰れー!」という客席からのブーイングに対して「皆様を喜ばせることがあります。次の曲で僕たちは終わりです」と言ったの。
すごく悲しいことを言うなと思うと同時に、この人はチャンスさえあれば必ず売れると思った。
清志郎は本当に無口だった。でも、一瞬で物事の本質を伝える力があったわ。
その反面、言葉が足りないから誤解も招いていたの。
私がやったことはその通訳かな。
私が作った清志郎のイメージに皆がついてきたのね。
今となっては清志郎がそれを望んだか真相はわからないけど。
私は生き方を決めていない人が好き。
生き方を決めたらある意味止まって見える。
キラキラ輝きだした人に売れていく道を作ってきたけど、原動力はその人が欲しいと思っているものを一緒に取りに行く喜びかな。
そして、売れなくなる貴方を見るというのも出逢った意味という感じもする。
売れていく貴方を見るのもスゴい景色だけど、桜が咲いて散るような美しさに近いかな。
思ったことは素直に伝えている。
間違っていたら謝るけど、お世辞は言えない。
私の言葉に奮起して戦っていくのもあり。
誰もが売れて欲しいと思っているから。
5年前「SEKAI NO OWARI」に出会った時、新しい才能に出会わないと思っていたけど、私もまだこんなに若い人たちを素敵だって思えるって事に驚いた。
その時やりたいことをやっているから、私もまだ生き方を決めていない。
私のこのゲームもどこまで続くかわからないけど、今でもキラキラした人を常に探している。
私との出逢いでその人の人生が音を出して動き出すのが好きだから。
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