ここ数年、食事メニューを一切置かず、コーヒーだけを提供するカフェが増えている。
その火付け役となった本日登場するスゴい人の店は、裏路地の奥の奥にあるのに連日、数百人の来店があとを絶たないという。
彼は、2008年シアトルで行われたラテアート世界大会において、アジア人初の世界チャンピオンになった。
彼が行うのは、free pourという、ピンや楊枝などの器具を使わずスチームしたミルクをエスプレッソに注ぐだけでカップにアートを描く手法だ。
この手法は、器具を使って後書きする方法よりもより高度な技術が要求されるが、泡が新鮮で、美しさと技術レベルが比例する技法と言われる。
30歳からの挑戦。
それでも、世界一になれた理由とは?
さあ・・・ストリーマー・コーヒー・カンパニー代表 澤田洋史様の登場です!
「1日牛乳100本分の努力を」
大学生の時、旅行先のアメリカのスーパーマーケットで見た莫大な商品群に完全にやられました。
この衝撃が忘れられず、輸入食料品を扱っていた紀伊國屋スーパーへ就職を決めました。
入社後、任されたのはチーズ。
すっかりチーズにのめり込み、フランスから、フランスチーズを普及させた人に贈られる勲章を授与されました。
昔から、凝り性なんでしょうね。
これがきっかけで大手乳業メーカーに転職しましたが、30歳の時、もっと英語や海外のビジネスを学びたくて退職しました。
仕事も楽しく給料も良かったので、周りには大反対されました。
しかし、妻にも背中を押してもらい、シアトルに1年間留学しました。
シアトルで、僕が学校の宿題をする場所は決まってスターバックスでした。
でもある雨の日、傘も無くどうしようもなくて飛び込んだカフェでTシャツに短パン、全身にびっちりタトゥーの入ったバリスタがコーヒーを入れているのを見て衝撃を受けました。
しかし、さらに衝撃だったのは、そんな風貌の彼が作っているラテアートを見た時でした。
「なんじゃこれは!!!」
ココアパウダーやピンを一切使わずに、ミルクを流し込むだけでどんどん描かれていくラテアート。
これが、僕の人生を変えました。
僕は翌日からこの店の常連となり、頼み込んでバイトまでさせてもらいました。
帰国しても、毎日ラテアートの練習をしました。
シアトルでラテアートの世界大会があると聞いて挑戦しましたが、全く通用しませんでした。
実は、僕が大会に出場しているときに父が亡くなっていたのです。
それを知ったのは帰国後でした。
大会に挑戦する僕を気遣い、家族が帰国するまでは言わないでいてくれたのです。
僕はこれほど周りの人に支えられ、応援されているのに、優勝どころか入賞も出来ず、父親の墓前に手ぶらで帰ってきた自分が悔しくて、悔しくて…完全に目が覚めました。
本気でやろう!と。
翌年の大会前の練習では、使用する牛乳の量が1日100本分を超えていました。
風呂に入っても、湯船のお湯で練習していましたね。
そして、2008年にアメリカのシアトルで行われた世界大会に出場し、「FreePourラテ・アート・ワールドチャンピオン」になることができたのです。
不安や恐怖って、練習で消せます。
消えない不安はただ練習量が足りないだけだと思うので、不安が消えるまでひたすら練習しまくります。
僕の夢は、日本人にしか表現できないコーヒーの世界観をアメリカに逆輸入すること。
これからも、ハンドメイドのコーヒーを通じてたくさんの方々にコーヒーカルチャーを伝えたいと思っています。
◆STREAMER COFFEE COMPANY
http://streamercoffee.com/
◆澤田洋史さん監修
メルセデスベンツカフェ“CONNECTION”
http://www.mercedes-benz-connection.com
※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。