本日登場するスゴい人は、ディスコDJとして30年以上現役第一線で活躍し、日本初の試みを多数成功させてきたスゴい人。
お昼のディスコ・ラジオ番組「RADIO DISCO」(InterFM897)、お昼のディスコ・テレビ番組「Disco Train」(TOKYO-MX)
日本の空港施設初・羽田空港でのディスコイベント「Groove Night at Haneda Airport」(2012年)、東京タワー初・展望フロアでのディスコイベント「東京・大人ナイト」(2012年)、東洋一の大宴会場・プリンスホテル「飛天の間」でのディスコイベント「PRINCE DISCO」(2013年?)、親子二世代で楽しむ「ファミリーディスコ」(2006年?)プロデュースのパイオニアとしても知られる。
フリーアナウンサーの押阪忍氏、栗原アヤ子氏を両親に持つ彼がディスコDJという道へ進んだきっかけとは?
さあ…
DJ OSSHY様の登場です!
「練習は裏切らない」
私が物心ついたころには両親ともテレビの世界で活躍していました。
ほとんどお手伝いさんと過ごしていましたが、塾やピアノ、そろばん、習字、剣道など英才教育を沢山受けました。
しかし、自分でやりたいと思って始めたものは1つもありませんでした。
学生時代初めて先輩に連れられてディスコへ行き、人生で一番の衝撃を受けました。
中学時代オーディオマニアでカセットテープを編集して友人に配っていたのですが、曲の間をいかに短くするかを試行錯誤していたので、ノンストップで音楽がかかり続けていることにとても驚いたのです。
それから毎週末先輩たちと一緒にディスコに行ってはDJブースにかじりつき、ついには一人で毎日通うようになりました。
1か月ほど通うとDJが「見習いをやるか?」と話しかけてくれて、渋谷のキャンディキャンディでDJを始めました。
スタープレーヤーと呼ばれる先輩方に憧れて、とにかく努力しました。
もちろん親からは反対されましたが、自分ではこれが天職だと思ったので、生まれて初めて親に反発しました。
それから30年以上現役ですが、私の場合は遅咲きでしたね。
他の人とは真逆の事をやろうと、ジャケットを着てプレーしたり、昼間のディスコを開催して、ディスコはどうしても危険なイメージが強かったので、安全・安心・健全さをアピールしてきました。
一番の転機になったのは、5年前に始めたラジオ番組「RADIO DISCO」でした。
平日のお昼に毎日1時間半生放送でディスコ音楽を流すという試みが、若い頃ディスコに通っていた主婦層の心を動かしたのです。
それから、お昼のディスコ・テレビ番組や、空港や東京タワーなど日本で初めての試みとなる場所でのディスコイベントに次々呼ばれるようになったのです。
両親がやっと少し認めてくれるようになったのも、この頃からでしたね。
私は人一倍負けず嫌いな性格なので、「絶対にスタープレーヤーになる」という想いでひたすら練習をしてきました。練習は裏切りません。
私の場合、天才肌ではないので練習量に結果が比例します。
30年以上、毎回イベントの前日には入念な仕込みと練習をしています。
練習量が足りないと結果に満足できないので、自分の満足のためにやっている事ですから、苦にはなりません。
今の目標は、2020年の東京オリンピック、パラリンピックをディスコで盛り上げる事。
全世界から集まった人々が、試合後に楽しめるディスコ、クラブを作りたいです。
◆DJ OSSHYオフィシャル WEBサイト
http://www.osshy.com/
◆DJ OSSHYオフィシャル・ブログ
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